かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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東欧に独裁者の爪痕を訪ねて―アウシュビッツ・スターリンワールド旅行記三日目・クラクフからワルシャワへ

クラクフ市内散策再び

ヴァヴェル城へ

この日の起床は8時過ぎ。午前中は適当にクラクフをふらついて、午後2時半のワルシャワ行き列車に乗ればいいという日程でもあったので、ちょっとだけ二度寝も堪能させていただきましたw 身支度、荷作りをして10時前に宿を出て、旧市街南部のヴァヴェル城に向かいます。

道中見つけたこんなお店。さすがにそれはヤバいっしょwww

トラムの走る街の風景を楽しみながら王宮や大聖堂を擁する城へ。
*1
南側から上ると広場のようになっており、周囲を見渡すことができます。

城の西側を流れるヴィスワ川です。

さらに西にあるこんもりした山は、アメリカ独立戦争ジョージ・ワシントンの副官として戦い、第2次ポーランド分割後に祖国で蜂起した英雄・コシューシコの名を冠した「コシューシコ山」です。ここクラクフで蜂起した際、要塞が作られた場所だそうです。

旧王宮と大聖堂

広場から奥に入ると旧王宮の中庭があります。


一面の白に日差しも柔らかく感じられ、肌寒さが神々しさをも感じさせる空間です。書いていて舌が浮きそうです(笑) 中では、古都ならではの王家にまつわる品々や、剣や鉄砲などの武器などが展示されています。
お次は大聖堂。

着工は1320年。ワルシャワ遷都後も王の戴冠式が行われてきたという場所です。右側の金色のドームはジグムント王が建てたものだそうで須賀、いかんせん修理中というのが…orz ただ、内部は金ピカながらも非常に重厚な造りでした。地下には歴代の王たちの墓も。第一次世界大戦後にポーランド建国の父となったピウスツキのものもありました。
塔には約500年前に鋳造されたという鐘。国内最大なんだとか。


景色もなかなかでございましょ?
一通り見学を終え、今度は北側から出ます。メインの城門の前でポーズを決めているのは…


コシューシコ大先生であらせられます。何だか嬉しくてシャッターを切りまくってしまいましたw

バルで昼食

ここから北へ向かう通りに入ります。

途中で見つけたのは聖ペテロ聖パウロ教会と思しき建物。前に並んでいるのは十二使徒なのかあ、なんて話しながら足は大して止めませんw もうお昼を回っています。ご飯を食べましょう。入ったのはこちらのお店。

バルと呼ばれる種類のレストランで、カフェ方式になっています。

頼んだのがこちら。

スープとチキンです。これを2人で分けて食べたので須賀、終盤はポテトの存在感に圧倒されっぱなしでした。これで21.2ズウォティと値段もお手頃。ちなみに注文の時に、手をパタつかせながら「チキン」と注文したのは秘密です。ボディーランゲージに頼り過ぎるのも良くないですね(笑)
このように手ごろに食事を楽しめるバルなので須賀、物乞いのおじさんにも声をかけられました。モフモフしながらポテトと格闘していると、特段そんな様子もない身なりのおじさんが近寄ってきて、1ズウォティが何だと話しかけてきます。こちらはその部分しか聞き取れませんので、「はい?」みたいな感じでいると、かぶっていた帽子を差し出してきます。まあ最初の時点で金銭か食べ物を要求しているんじゃないかと察しはつくんで須賀、何せよく分からないということもあり、半分くらいふざけて「帽子をくれるんですか?」とか、相手が小銭を見せてくると「くれるの?ありがとう」と手を差し出したりとあしらっていました。それで持っていた小銭を私の手の上に置いてくるところがこの人のよく分からないところなので須賀、丁重にお返しした後も1ズウォティが何だと繰り返しているので、「悪いけどお金をあげるつもりはありません」と二度ほどゆっくりとした英語で伝えます。それでも埒が明かないといった時に、近くに座っていた若いカップルの彼氏から「彼はお金を要求している。渡しちゃダメですよ」と至極ご尤もなご指摘を賜り、「てか無視して食べようよ」と完全無視に。ここでやっと彼は、いかにもわけがわかっていなさそうな東洋人からお金を交付させることを断念したようで、すごすごと私達の前から姿を消したのでした…

国民的英雄・ヨハネパウロ2世

通りを北進し続けると初日の広場に出るので須賀、電車通りで左折します。見えてくるのは大司教宮殿。前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が教皇になる前にいた場所だそうです。


初のポーランド出身教皇として知られていま須賀、スラブ系としても初であるどころか、イタリア人以外が教皇になるのは約450年ぶりのことだったとか。こうやって旅をしていると、彼が人気者だったことは容易に察せられま須賀、その真の所以というか意義のようなものは、ヨーロッパに住んだこともキリスト教を信仰したこともない私には計り知れないものなのかもしれません。

街に溶け込むヤギェウォ大学

お次はこちら。

ヤギェウォ大学です。1364年創立の歴史ある大学で、先述のヨハネ・パウロ2世のほか、この人も卒業生です。

コペルニクスです。大学としては、各学部の建物がこの近辺のあちこちに散らばっているようで、「門があってそこから奥が大学のキャンパスです」という形ではなく、まさに街中に大学が溶け込んでいるような様子。650年近く前からある大学なわけで、どのようにして現在のような配置が成立してきたのか(むしろ厳密に敷地を仕切る大学のあり方はどのようにして発生したのか)、関心があるところです。

広場も見納め

こうして再び中央市場広場に戻ってきます。


昼には昼の趣がありま須賀、やはりあの学部のアイドルと比べると見劣りがするよー!そんなことないよー! それにしてももう午後1時を回っています。そろそろクラクフともお別れをせねばなりません。
道中で両替100ユーロ→424ズウォティ*2した後、宿で預かってもらっていた荷物を回収し、駅へ。ちょうど2時ごろ着きました。お金の挿入口がこんな形をした自販機のコーラで一服。
*3

特急列車は…?

ホームに向かうと、すでにワルシャワ行きと思しき列車が停まっていました。どうやら指定席らしいのですが、どうなっているのかいまいちよくわかりません。寝台列車みたいな車両をうろうろしていると、高齢女性を中心とする大量の日本語話者がその一部を占めているようです。またしても海外で一番見たくないものを見てしまったわけで須賀、とりあえず早く席に落ち着こうと、添乗員らしき人に尋ねてみます。すると、「ここは1等車なのでちゃいますけど、2等車の適当なところに座らはればええと思いますよ?」。アドバイス通り、適当に着席させていただきます。近くには幼い子供連れや学生さんっぽい女性も座り、なかなか賑やかな様子です。



…が、その乗客たちは、徐々にある異変に気がつきます。発車時刻の2時26分を過ぎても、車内の電光掲示板すら点灯しません。車内アナウンスのようなものもありませんでした。日本でこれはちょっと考えにくいで須賀、周りの人たちもそこまで騒いでいる様子でもありませんでしたので、「まあ旅情だよね」と気長に待つことに*4
待つこと1時間20分。ようやく発車すると、車内サービスのコーヒーとお菓子も出るなどなかなか快適。ただ運行状況としては、時速155キロくらいまで加速したりいつの間にか減速して停まったりの繰り返しで、ワルシャワで降りる私達はまだしも、バルト海沿いのグダンスクからさらに先にある終点に着く頃には、時計の針は一体どこを指しているのかと先が思いやられます。ちなみに告白しておくと、ノートにはこの列車について「ツンデレトイレ」なる走り書きがなされているので須賀、それが何を意味するのかは、現代の科学の進歩ではよく分かっていません。

威容を放つ「スターリンの贈り物」

列車は7時半ごろ、約2時間の遅れをもってワルシャワ中央駅に到着します。

直前に停まった別の駅に降りかけて、友人の機転で踏みとどまったという有力説もあるそうです。
まず今晩泊まる宿を探そうと、街中に繰り出した私達。すると早速、青く輝く巨大な構造物が目に飛び込んできます。

建物の名は「文化科学宮殿」。スターリンからの「贈り物」として建てられた高さ234メートルの建物で、当初の呼び名は「ヨシフ・スターリン記念文化科学宮殿」。政治的、あるいは景観的理由からワルシャワの人たちからの評判は良くないそうで、「ソビエトの建てたワルシャワの墓石」「文化科学宮殿に行けば文化科学宮殿なんか見なくて済む」などなど、そうした評価を反映した呼び方やジョークが多々あるんだとか。
しかしまあ、これだけ大きければ旅行者にとってはいい目印です。

ここからも近いユースホステルに宿を構えます。8人部屋だったので1人53ズウォティとお手頃価格です。

夜行バスの切符を確保

さて、こうしてその日の寝床までは確保したので須賀、もう一つこの日のうちにやっておきたいことがありました。それは、明日のヴィリニュス行きの夜行バスの切符を押さえておくこと。なんだかんだで強行軍となった今回の旅程をうまくこなすには、是非明日の夜のうちにリトアニア入りし、旅程を稼いでおきたい。もしそれが不可能なら次善の策を採る必要もあるわけで、いずれにせよ、答えはこの日のうちに必要でした。幸いワルシャワ西駅の前にあるバスターミナルからヴィリニュス行きの夜行が出ているという情報はあったので、そちらへ向かうことにしました。
ホステルのフロントで尋ねたところ、バスで行くのがよいとのことだったので、大通りを西駅*5に向けて歩きながらバス停を探すことに。ちなみに切符は街中にある券売機で買えるようになっており、一度現地の人に実演してもらってその方法を習得しました。
8時半ごろ、結局中央駅のあたりまで歩いてバスに乗り、2人で停留所の数を数えながらバスターミナルで下車。首尾よく18日午後7時半発のヴィリニュス行きバスのチケットを手にします。料金は1人60ズウォティ
こうして旅程上最大の山場を乗り切る担保を得た私達は、意気揚々と中央駅あたりまで引き揚げます。夕飯でも食べて寝ようという流れだったので須賀、適当な店が見つからずまさかのマック再びww クラクフワルシャワとマックに入るなんて、ポーランドの都市間のマクドナルドの味比べでもしようというのでしょうか?
宿に戻ってきたのは午後10時15分ごろ。そこから過去の清算お金の精算をしたりネットをしたりして、12時半過ぎに就寝しました。時差の関係で18日付になっていま須賀、これがその時の書きこみです。

*1:城壁の一部

*2:こちらはなかなかのレートでごわんした

*3:真ん中下の斜めになっているところの上にお金を置いて押し込むと入る仕組みです

*4:まぁそうするしかないんですけどねw

*5:西駅、というと個人的には懐かしい響きで須賀、ワルシャワの場合中央駅というのも既にありますので、西駅がどんなに速い列車の終点になっても、改称されることはないでしょう