かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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北朝鮮版Amazonから日朝関係まで/『北朝鮮を知るための55章』(石坂浩一編著)

 

政治経済、国際関係、社会文化、日朝関係など、北朝鮮という国を多角的に紹介する本です。

物別れに終わった第二回米朝首脳会談の直前という、北朝鮮を巡る国際情勢が好転していた時期に出版されたということも相まってか、前途について非常に楽観的な見通しが多く語られており、(後出しジャンケンかもしれませんが)国際政治の見方としてやや一面的な印象は否めません。

ただ、本書の特徴はその点を補って余りあるだけのテーマの幅広さにあります。北朝鮮にもAmazonのようなサイトがあったり、平壌冷麺の名店・玉流館がネットで出前サービスを実施していたりといったIT事情や、いわゆるNKポップを含む音楽史など、硬軟で言えば「軟」の部分の「品揃え」が魅力的でした。

図書館で借りて読んだので須賀、手元に置いておきたい一冊ですね。

「麒麟がくる」三十三話/「金髪豚野郎」ならぬ「坊主豚野郎」登場/実は就任早々だった天台座主・覚恕

【目次】

 

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実は就任早々だった天台座主・覚恕

今回は、織田信長比叡山焼き討ちに至るまでの経緯が描かれていました。

覚恕は確かに正親町天皇の弟で、1570年(つまりドラマに登場したその年)に天台座主となっています。美しい兄へのコンプレックスの強さから、長じて「金髪豚野郎」ならぬ「坊主豚野郎」となったという設定でしたが、焼き討ち直前に参内して朝廷に相談を持ちかけているそうで、実際に兄との間に不協和音があったのかはよくわかりません。

ちなみにこの天台座主、中世には覚恕のように天皇家摂関家の子息が多く就くようになります。摂関家からは、平安時代末期に「愚管抄」を書いた慈円がよく知られていますね。

再検討を迫られる比叡山焼き討ち

この焼き討ちはかなり凄惨なものと伝わっており、例えば『信長公記』にも「煙は雲霞の湧き上がる如く、無惨にも一山悉く灰燼の地と化した…数千の死体がごろごろと転がり、目も当てられぬ有様」などとあります。

ただ、近年の発掘調査によると、信長の焼き討ち当時、そもそも比叡山にそれほど多くの建造物があったわけではないそうで、イメージされているほど大規模なものではなかった、との説も提起されています。

少年の死は駒を「反信長」にするか

ドラマでは、春風亭小朝片岡鶴太郎の密談シーンがいやらしさ満点でしたね。ああいうのは好きです。焼き討ちの場面では、駒の薬を比叡山に持ち込んだ少年も斬られてしまいましたが、恐らく駒はそのことを知り(あるいは察し)、信長の反感を強めていくことになるのでしょう。十兵衛自身も、信長の処断に不満をあらわにしていました。

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以前予想したように、駒は着実に「本能寺の黒幕」に近づいていっているように思えます。

ベストセラー『FACTFULNESS』が「説教臭くない」理由

【目次】

 

過剰にドラマチックな世界観を生む「10の思い込み」

日本をはじめとする*1世界各地でベストセラーとなった一冊です。副題の通り「10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」を紹介しています。

10の思い込みとは、

  1. 分断本能(世界は分断されている)
  2. ネガティブ本能(世界はどんどん悪くなっている)
  3. 直線本能(「地球上に人があふれ出して海の先へ先へとこぼれ落ちてしまう」)
  4. 恐怖本能(危険でないことを恐ろしいと考える)
  5. 過大視本能(目の前の数字が一番重要)
  6. パターン化本能(一つの例が全てに当てはまる)
  7. 宿命本能(全てはあらかじめ決まっている)
  8. 純化本能(世界は一つの切り口で理解できる)
  9. 犯人捜し本能(誰かを責めれば物事は解決する)
  10. 焦り本能(今すぐ手を打たないと大変なことになる)

です。現実のデータを使いながら、これらの本能に囚われたドラマチック過ぎる世界の見方に修正を迫っていきます。

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こちらなど、同様の切り口の本はいくつかありま須賀、特に本書がある種の説教臭さや胡散臭さを帯びていないのは、著者がただの「データ屋」ではなく*2、身をもってそれらのデータが生まれている現場に飛び込み、著者が言うように数字だけでなく人から多くを学んだ成果として、それぞれの知見が紹介されているからなのでしょう。

私の失敗エピソード:「察し」でクイズに正解しすぎた

この本の感想を書くなら、自分がこれらの本能に支配されてしまったエピソードを書き添えてほしいー。訳者あとがきにそう書いてあったので、私もひとつだけ(小学校時代に住んでいた街の都市化の程度を「直線本能」で捉えていた、という話を八割方書いたところで、話がローカル過ぎて消してしまいました)。

それは、まさに本書のクイズでした。非常に正答率が低くなる、というところが本論に繋がってくる大事なところなので須賀、私は7〜8問正解してしまいました。なぜか?それは、私が著者らが訴えるところの「FACTFULNESS」に満ちているから…ではなく、副題などの周辺情報から、著者たちがこれから何を言おうとしているかについて、多少想像を膨らませてしまったからでした(その割には結構間違えましたけど)。まさにこれは「パターン化本能」というやつですね。クイズは多めに正解できましたけど、これをやり過ぎて判断を誤ると結構危なそうですね。一歩立ち止まって、一つでも自分の思い込みに気付く機会にしたいものです。

*1:特に日本で売れているそうです

*2:データを駆使した議論を否定する趣旨ではありません

3カ月の育休を終えて

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ついにこの記事を書かなければならない時が来ました。3カ月間の育休を終えた朝に、これまでのことを振り返っておきたいと思います。

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ますます活発になる生後5カ月の長女

起きている時間も、出来ることもはっきりと増えてきました。

夜中に起きることも多くなり、昼間も「いつの間にか寝てしまう」ケースは稀になりました。終盤は、寝かしつけを兼ねて長男の保育園送りに連れて行くようにしていました。

喃語でよくお喋りするのは相変わらずなので須賀、ブーブー言いながら唾を思いっきり飛ばし続けることがしばしばありまして、この前見たら本人のおでこや前髪までしぶきが飛んでいました。こちらは別にいいんですけど、遊んでるんですかね?

体幹もしっかりしてきて、まだ安定感はありませんが、しばらくなら座っていることもできるようになりました。

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食事の時間も、最近は椅子にバンボ*1を置いて「同席」してもらうようにしているので須賀、食卓のものに手を伸ばしたり、特に長男が食べているものを羨ましそうに見つめていますね。

昨日の昼も、私が食べたみかんの皮をサッと掴んで口元に持っていってしまいました。来週から離乳食も始まるみたいだから、もうちょっと待っててね。

総じて、3カ月のうちにはっきりと外界の刺激を受け取り、それに反応できるようになったと思います。

妻と長男、八面六臂の活躍

ますます活発になる長女のお世話をする上で、妻と長男が私以上の戦力となってくれています。

長女がわーっと泣いてしまった場合の対処にはいつも困らされていま須賀、この点で妻は二枚も三枚も上手です。授乳ができるという違いは当然ありながらも、妻にバトンタッチした途端に長女が泣き止む、というパターンがしばしばあり、「長女を泣き止ませる」ことについては、完全に自信を喪失してしまいました。3カ月も休んで何を言っているんだと叱られそうで須賀、長女と2人になるのは正直怖いです。

ただ、そうばかり言っていられない状況もあるわけで、自分でなんとかせねばならない時は、スマホの動画をちょっと見せて泣き止ませる、というのをやっていました。以前に撮った長女本人が笑ったり喋ったりしている動画なんですけど、これが意外と効くんですよね。見せられた本人は、「あ!赤ちゃんだ!」とか思っていそうな気がします。

妻が泣き止ませ名人なら、長男は笑わせ名人です。長女は何もなくてもお兄ちゃんの方をよく見ていますし、笑いかけるのも一番多い気がします。長男としては、長女に歯が生えてきているのを一番最初に見つけられたのが誇らしいらしく、その後数日はその自慢話ばかり聞かされました。

結局帰省は叶いませんでしたが、ちょっとした家族旅行に行くことはできました。

「時間意識」の変化?

3カ月間を通じて自分がやりたかったことは、概ねこなせた気がしています。

最近趣味にしているサイクリングでは、当初からの目標だった100キロ走破を成し遂げることができました。休み期間中に一念発起して(?)購入したApple Watchも、よきお供となっています。

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読書も、優先順位をつけてからは能率が上がり、予定以上の進捗。意識して、今の仕事に関わる勉強を進めることができました。

こんな感じで、自宅で悠々自適気味の日々を過ごすことは何ら苦痛ではないので須賀、慣れすぎてもいけませんので(笑)、ここらで新しい刺激のある環境に移っても良い頃合いかなと思うことにしています。

その上で今、改めて感じているのは、人生の時間をどう使って、日々をどう過ごすのかは自分の選択次第なのだということです。フルタイムで雇われ仕事をしていれば、平日の昼間の時間に対する自分の裁量はあまりなくなってしまいがちで須賀、そうでない時間の使い方も選び得る(もちろん経済的な問題はありま須賀)。平日でも、昼間でも、当たり前ですけど時間という資源はそこにあるわけで、公私どちらであっても、その時間を有効活用していきたいという気持ちは強まった気がします。

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この本で論じられていた意味よりはやや薄い話かもしれませんが、「時間に対する意識」は変わったと感じます。

家族って楽しい

そして何より、本当に3カ月間、家族と過ごす時間を持つことができました。そう言えば、感染症のこともあって「ちょっと友達と飲みに行ってくるわ」ということも一度もありませんでしたね。

以前は、家庭があるからという理由で、友人や同僚との付き合いが悪くなるのが嫌だという気持ちがありました。実際にそれを家庭から求められているわけではありませんが、多様な人たちと交際できた方が、純粋に楽しいだろうと思ってきました(そのこと自体が変わったわけではありません)。

ただ、こうして3カ月間家にいて分かったことは、ここにもとても多様なメンバーが起居していて、一緒に楽しいことをたくさんやれる、ということです。日々の食事やお風呂、カードゲーム、一緒に見たアニメ(最近はデュエマ)、並んで読んだ本(長男はコロコロコミック)、旅先で見た景色…。家族といろんなことが共有できるようになった、家族って楽しいーそう感じられるようになったことは、自分にとっての貴重な財産だと思っています。

さて、出勤の準備をしましょうかね。

*1:長男が生まれた6年前、所属していた記者クラブの他社の方にいただいたものです

「麒麟がくる」三十二話/光秀との深い仲が筒井順慶の死期を早めた?

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フィクサー今井宗久の暗躍

再登場の今井宗久の政治的センスが光る放送回でしたね。

明智光秀木下藤吉郎が鉄砲を求めて宗久を訪ねま須賀、ちょうど先約があって譲ることができないと断られます。ただ、売却先が大和の筒井順慶であることを商人の信義に反しないギリギリのところで匂わせ、光秀と順慶が直接交渉する場までお膳立てしていました。これは想像で須賀、恐らく宗久は順慶の政治的思惑(敵対する松永久秀に対抗するため、信長に接近したい)まで理解しており、順慶と光秀(を経由して信長)を繋ぐ意図まで持っていたのではないでしょうか?まさにフィクサーといった感じの暗躍でした。

ちなみに茶会の舞台となった顕本寺こそ、以前紹介した三好家と堺との関係の深さを象徴する寺であり(三好長慶の父の最期の地)、その辺も意味深長な設定でした。

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光秀との深い仲が筒井順慶の死期を早めた?

さて、筒井順慶の話をしましょうか。

筒井氏は大和の土豪の家系で、順慶は父の死によりわずか2歳で家督を継ぎ、松永久秀らと戦い続けてきました。ドラマで約束していた通り、明智光秀を通じて信長に臣従したのは事実です。そして順慶は、織田家中で有力な武将となっていた光秀の与力となり、その軍事行動を支えることとなります。縁戚関係にもあったそうです。

本作では、光秀と松永久秀の長い交友が描かれてきていま須賀、ここにきて、光秀は久秀の宿敵・順慶とも深い関係を結んでいくことになるわけです。その板挟みのようなシーンも描かれていくことになるのでしょう。

そして先走って言ってしまえば、順慶はその光秀との関係の近さから、本能寺の変後に明智方に参加するよう勧誘を受けます。その使者に立ったのが伝吾だそうです。順慶はそれを断ったものの、勝者となった秀吉から(まさに「洞ヶ峠」の日和見と見做されて)睨まれ、秀吉に酷使され続けたことが順慶の死期を早めた…という見方もありますね。

その当否はともかく、この先を語る上での重要人物であることは間違いありません。まさかと思いましたが、笑福亭鶴瓶の息子さんなんですね。期待しています。

『コロナ後の世界』『コロナ後の世界を生きる』/個々の人間の価値をいかに守るか

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奇しくもまた、日本国内で新型コロナ感染の第3波が取り沙汰されていま須賀、育休終了前に「今を考える」きっかけにしようと、比べ読みをしてみました。

キャラ立ちの文春版、不揃いな岩波版

文春新書は『銃・病原菌・鉄』『LIFE SHIFT』『GAFA』などなど、日本でも話題となった本の著者ら6人へのインタビュー集です。岩波新書の方は、日本と関わりの深い論者らによる寄稿が中心となっています。

前者はそもそも論者たちが「キャラ立ち」していますし、同じインタビュアーがコンセプトを揃えて取材・編集しているので、一冊の本としてちゃんとまとまっていました。それに比べて後者は、特に最後など素敵なパートは複数あったものの、全体としての不揃い感は否めませんでした。多様な分野に知見がある人たちが、それぞれの議論を展開すること自体は良いことだと思いますけど、そうであればこそ、各パートを結ぶor比較するための何かしらの軸が必要となってくるはずです。それを見出し、引き出すのが編集の技量だと思うので須賀、これだけの論者を集めておきながら、ややもったいない気がしました。

「何が変わるか」より「何を変え、何を守るか」

国内外の(と言っても日米英であったことには留意したいです)様々な意見を読んで感じたのは、当たり前のことで須賀、「コロナで何が変わるか」よりは、「何を変え、何を守っていくか」を考えて選びとっていく方に頭を使いたいな、ということです。

会社に出勤することが前提の働き方は変えられる。今春の経験を通じてそう感じた人も一定数いたでしょうし、私もそうでした。

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そういったものは変えていけばいいし、変えていけると感じます。私個人も「会社以外でできる仕事は会社以外でやります」と言い続け、上司の理解も得つつ、社内で(やや突出しつつも)率先して、その勤務形態を続けてきたと自負しています。それは自分のためという以上に、社内でこの働き方の可能性を示していきたいとの思いからでもあります。偉そうに言えば、「社内の雰囲気が変わる」のを待つのでなく、「社内の雰囲気を変え」たい。

話は戻りま須賀、一方で、このコロナ禍を口実に改憲(緊急事態条項の追加)を進めようという目論見は、岩波新書杉田敦の指摘にあるように、そもそも立法事実を欠いており論外と言うしかありません。この場で改憲の是非について一から論ずるつもりはありませんが、一連の感染防止対策が往々にして市民の自由を制約するものである以上、権威主義的な思惑を持つ政治勢力による火事場泥棒のような主張には注意が必要です。

「コロナ後は何もかもが変わる」「いやいやまた元に戻るだけ」といった未来予想が無価値だとまでは思いませんが、このように、結果として生まれた良い変化の芽を育て、守るべきは守っていく主体的姿勢を持ち続けたいと考えます。温故知新ってやつですかね?

個々の人間の価値尊重こそ

せっかくなので最後にいくつか、心に残った一節をいくつか紹介させてください*1

試されるのは…いかに、人間価値の値切りと切り捨てに抗うかである。(藤原辰史)

「緊急時」に現れるcompassionは、困窮が継続する可能性や、困窮の要因が不可抗力か自己責任かといった議論に向かい合わず、それを考えることを迂回した考え方である。この考え方の延長線上に、「平時」の困窮に対する解決策はない。(阿部彩)

この状況からの脱出を「生き残り」と呼ぶのは誇張かもしれないが…それは他者と共に生き残ることを構想する《利他的生き残り》の哲学に立ったものでなければならない。(最上敏樹

ロックダウンに際し、人権意識の強い諸国でも政府による行動制限が広く受け容れられたのは…自分たちの生命・健康を守るために、自分たちへの「規律」が必要だと多くの人が認めたからである。…したがって、もしもある国の政府が、感染症対策が進んだことを「成功体験」として、他の問題でも人々を従わせることができると考えたら、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。(杉田敦

ちょっと雑多な感じになってしまったかもしれませんが、社会として一定以上まとまった対応が不可欠な情勢で、如何に個々の人間の価値を尊重していくかが、特に問われているのだと感じます。先ほどの話で言うと、それこそまさに、第一に守り抜くべきものでしょう。

*1:たまたまで須賀、どれも岩波新書からになりました。それだけ、個々の議論は印象深いものでした

「麒麟がくる」三十一話/信長を裏切ってまで守られた浅井・朝倉の絆とは

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今日は、今回のハイライトである浅井長政の敵対と、それに伴う「金ヶ崎の退き口」について書いてみたいと思います。

「袋の鼠」の小豆袋は登場せず

まずは金ヶ崎の戦いについてから。金ヶ崎の朝倉景恒が強い抵抗をせず退去したこと、浅井長政の「 裏切りの知らせを受けた織田信長は当初、それを誤報と考えたことなど、「信長公記」の記述とも合致する展開でした。

信長の妹であるお市(なんと初登場でしたね)が、信長に危機を知らせるために両端を紐で結んだ小豆袋を送った(=袋の鼠であることを暗に伝えた)エピソードが著名で須賀、その描写はありませんでした」。ちなみに、浅井長政は「そなたはもう信長の妹ではなく浅井長政の妻だ」と言っていましたが、お市はそれ以後、そのようには行動しなかったことも知られています。

殿軍についても、公記には「金ヶ崎の城には木下藤吉郎を残しておいた」とありますし、明智光秀が務めたことも史実のようです。ただ、その2人が「ツートップ」として役割を果たしたわけではないとの見解もあります。

妻の兄・信長を裏切ってまで守られた浅井朝倉の盟友関係

それにしても、浅井長政が妻の兄であり、将軍を擁して勢いのあった信長から離反したのはなぜだったのでしょうか?浅井家中の力学など複数の要因が絡んでいるようで須賀、ここでは朝倉家との深い関係について見てみましょう。

浅井家は、長政の祖父である浅井亮政の代に北近江で力を伸ばした比較的新興の勢力です。亮政は勇猛な武将でしたが、南近江には源平合戦で名を馳せた近江源氏・佐々木氏の流れを汲む六角家がおり、必ずしも優位とは言えない状況でした。そこで、両家の仲介のような立場から浅井家と関係を深めたのが、越前の朝倉宗滴です。朝倉側としては、強力な六角家との間の緩衝地帯という意味合いもあったのかもしれませんが、時を経て、強い盟友関係が築かれていったのでした。

明智光秀織田信長は死んではならんのです!」

金ヶ崎のシーンに戻りましょう。やはり撤退を促す光秀のセリフが印象的でしたよね。「織田信長は死んではならんのです!」。この後に起こることを考えたら、何とも皮肉な言葉ではありますけれども…