かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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「麒麟がくる」三十一話/信長を裏切ってまで守られた浅井・朝倉の絆とは

【目次】

 

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今日は、今回のハイライトである浅井長政の敵対と、それに伴う「金ヶ崎の退き口」について書いてみたいと思います。

「袋の鼠」の小豆袋は登場せず

まずは金ヶ崎の戦いについてから。金ヶ崎の朝倉景恒が強い抵抗をせず退去したこと、浅井長政の「 裏切りの知らせを受けた織田信長は当初、それを誤報と考えたことなど、「信長公記」の記述とも合致する展開でした。

信長の妹であるお市(なんと初登場でしたね)が、信長に危機を知らせるために両端を紐で結んだ小豆袋を送った(=袋の鼠であることを暗に伝えた)エピソードが著名で須賀、その描写はありませんでした」。ちなみに、浅井長政は「そなたはもう信長の妹ではなく浅井長政の妻だ」と言っていましたが、お市はそれ以後、そのようには行動しなかったことも知られています。

殿軍についても、公記には「金ヶ崎の城には木下藤吉郎を残しておいた」とありますし、明智光秀が務めたことも史実のようです。ただ、その2人が「ツートップ」として役割を果たしたわけではないとの見解もあります。

妻の兄・信長を裏切ってまで守られた浅井朝倉の盟友関係

それにしても、浅井長政が妻の兄であり、将軍を擁して勢いのあった信長から離反したのはなぜだったのでしょうか?浅井家中の力学など複数の要因が絡んでいるようで須賀、ここでは朝倉家との深い関係について見てみましょう。

浅井家は、長政の祖父である浅井亮政の代に北近江で力を伸ばした比較的新興の勢力です。亮政は勇猛な武将でしたが、南近江には源平合戦で名を馳せた近江源氏・佐々木氏の流れを汲む六角家がおり、必ずしも優位とは言えない状況でした。そこで、両家の仲介のような立場から浅井家と関係を深めたのが、越前の朝倉宗滴です。朝倉側としては、強力な六角家との間の緩衝地帯という意味合いもあったのかもしれませんが、時を経て、強い盟友関係が築かれていったのでした。

明智光秀織田信長は死んではならんのです!」

金ヶ崎のシーンに戻りましょう。やはり撤退を促す光秀のセリフが印象的でしたよね。「織田信長は死んではならんのです!」。この後に起こることを考えたら、何とも皮肉な言葉ではありますけれども…