かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『英語独習法』(今井むつみ)

 

認知科学の観点から言語と思考の関係、ことばの発達、学びと教育などについて研究してきた著者が、それらの成果を踏まえた英語学習法を提案する本です。

ポイントは英語のスキーマを習得することです。言語という「氷山」の水面下には非常に複雑で豊かな知識のシステムがあり、人は無意識にそれを参照しながら外界を知覚し、言葉を発しています。その枠組みは言語によって大きく異なっており、日本語のスキーマのまま英語を話したり書いたりしようとすると、一語一対応で直訳する*1ような「間違ってはいないけど不自然な」英語になってしまう、と著者は指摘します。

その上で、辞書やコーパスを用いて語の意味範囲や他の語との関係、用法(構文)を知ることで、語彙を増やしながらアウトプットを重ねていくことを勧めます。一方で、いわゆる多読学習や初学者のスピーキング・リスニング重視には懐疑的で、まずは語彙を増やすことを優先すべきと論じています。

コーパスの使い方や活用法に多くの紙幅が割かれているのは、「実際に試し、学んでほしい」との思いの表れなのでしょう。その分、力点としては押され気味になってしまったようにも見えま須賀、映画を通じた学習法のパートで述べていたこの言葉が、とても印象に残りました。

何かを理解しようと強く願い、真剣に意味を考えることを繰り返すと、それは、自然に記憶に深く刻み込まれ、身体の一部になって、いざというときに、自然と身体が思い出す、「生きた知識」になるのである。

著者については、以前読んだこちらも興味深かったです。

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紹介されていた別の本も面白そうなので、読んでみたいと思います。

*1:夏目漱石が"I love you"を「月が綺麗ですね」と訳したエピソードは、これとは対照的な例で須賀、これも日英両言語のスキーマや文化的背景の相違を反映したものだと言えるでしょう。一方、英語と比較して韓国語は「直訳調」で翻訳しやすいのは、スキーマの差の大きさと関係あるように思えます

聖典をいかに読み解くか/『コーランを読む』(井筒俊彦)・『コーランの読み方』(ブルース・ローレンス)

【目次】

 

「開扉の章」をじっくり論じる

コーラン冒頭部にあり、そのエッセンスが残らず含まれているとされる「開扉の章」を中心に、コーランのレトリックや思想を読み解こうとする本です。40年ほど前の著者の講座から構成されており、書名に似合わず(?)読みやすい本です。

本書を通じて著者は、コーランの各文言がどのような意味で用いられ、どのように理解されていたかを文献全体から検討し、神(アッラー)から預言者ムハンマド)への発話行為パロール)の状況で理解していくべきだ、と説きます。好き勝手に解釈を膨らますのではなく、当時の状況を踏まえて厳密に解釈を絞り込んでいくべき、ということですね。

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私自身、10年近く前にコーランの(もちろん)日本語訳を読み、かなり勝手な感想を書き散らしたことがありますが、本書を読むと、その時は考えもしなかったようなコーランという書物の輪郭が姿を現します。

コーランの発展史と2系統の「神の名」

例えば、これは比較的よく知られていることで須賀、各章は大まかに新しい順に並んでおり、前期(メッカ期)は神がかった/シャーマン的な終末論、中期は預言者たちの物語、後期(メディナ期)は法律的規定や時事問題への言及ーなどと、20年間の発展史があります。そしてこの時期ごとに、言語表現のあり方もかなり異なっています。

また、イスラームでは世界の全存在は神のしるしであり、それらは存在しているだけで神を讃美していることになるとされま須賀、人間はその讃美を拒否する自由があるといいます。しかしその時、神はこれまでと打って変わって厳しい表情を見せ、端的に言うと地獄に落ちることになる。この神の表情の多面性は、神が多くの名を持ち、それがちょうど「北風と太陽」に対応する2系統に分かれることとも関連しています。

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「神の名がたくさんある」というのはこの時、イランで教わったのが懐かしいです。

「読まれ方」の変遷史

一方、こちらは、コーランの「読み方」というよりは、各時代・場所による「読まれ方」について理解を深められる本です。

ムハンマドとその教友たちの物語から、その有力者・アリーの系統を奉じるシーア派の解釈、スーフィズムコーランを西洋に紹介した翻訳者の思い、その西洋中心に進んだ近代化に直面したムスリムたちの読み直し、そしてあのオサマ・ビンラディンのつまみ食い的なコーラン理解まで、歴史を追いながら物語風に読み解いてくれます。つまりそれは、イスラーム思想史だと言って差し支えないと思います。

発話状況の理解あってこそ

個人的には、長らく聖典であり続けている文献の解釈可能性やその変遷、そして社会との相互作用、というような議論には心惹かれるものがあります。ただ、それはかつての私のように、文面だけ適当に読んだだけの解釈を振り回せばよいというものではないはずです。当時の発話状況を踏まえ、これまでの解釈を下敷きにした上で議論することが、イスラームへの深い理解と、イスラーム自体の発展に資するのだろうなあと感じた次第です。

『金正恩と金与正』(牧野愛博)

【目次】

 

大事な妹を「一時避難」させる

最近の情勢のキャッチアップのつもりで読みました。

兄の信頼は厚いが、目立ちたがり屋で「打ち手が当たっている」とは言い難い金与正。今年に入って降格扱いになったのは、兄妹仲に亀裂が入ったわけではなく、妹を思いやればこその「一時避難」であるという見解が示されています。

その他、俺たちの正男暗殺や米朝首脳会談など、最近の北朝鮮を巡る情勢をまとめています。金丸信の息子・信吾氏の話は興味深かったです。

3階書記室のエリートたち

本書の中で最も印象的だったのは、一般的には圧倒的権力を持つ独裁者とみなされている金正恩と、朝鮮労働党本部3階書記室にいる体制エリート「赤い貴族」たちが、ある種の共生関係にあるという指摘です。金正恩はいわゆる「白頭山の血統」にあるものの、統治機構を動かす人脈がない。パルチザン子弟らが多いエリートたちはその逆であり、お互いの立場を維持するために、お互いを必要としているというのです。

そして米朝首脳会議が決裂に終わったように、エリート層が望まない政策は金正恩とて選ぶことが難しい、と論じます。この例で言えば崔善姫がエリート層の一員であるとされていましたが、彼らは米朝関係の劇的好転による国際社会への復帰を、自分たちの特権が失われていくことにつながるとみなし、言ってしまえば金正恩に対してサボタージュを働いたのだそうです。

トップダウン一辺倒では通用しない

ここで思い出されたのが、この本でした。

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その議論に即して言えば、アメリカや日本と国交正常化して経済支援(や賠償金)が流れ込み、現在も進む草の根の市場経済化がますます加速して北朝鮮社会における既存の体制支持基盤や統制手段が弱まってしまえば、現体制の維持すら覚束なくなるかもしれないではないか。「赤い貴族」と呼ばれるエリートたちは、そう主張しているように聞こえます。

その声や実力が「最高尊厳」が思い通りに振る舞えないほど大きなものなら、著者が言うように、彼らに直接アクセスしてパイプを作っていくしか北朝鮮との交渉を動かしていく方策はないでしょう。

日米両政府ともに、北朝鮮との関係は最優先となる問題ではなさそうで須賀、本書で指摘されているように金正恩の健康不安説もあちこちで囁かれています。事態の急変も睨みつつ、あらゆる状況に備えておくことが必要だと感じました。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)

【目次】

 

宗教社会学の代表的名著

カルヴァン派の予定説を典型とするプロテスタントの諸教理が(修道院ではなく)世俗内での禁欲を浸透させ、強制的な節約と財の獲得の正当化によって、結果的に資本形成と生活態度の合理化を促進した。これが、近代資本主義の発展の一大要因となったー。非常によく知られた宗教社会学の名著です。

難解とされることもあるそうで須賀、訳が平易ということもあるのでしょうが、意外と読みやすかった印象です。

重要な契機の一つとして

本書では「教義」「教会規律」といったものではなく、個々人の宗教意識が生活態度に及ぼした影響から論じている、との自任通り、さまざまな宗派の実際の展開に即した形で議論を導いています。そもそも私にそれらの宗派についての予備知識が少なく、その当否を云々する準備がないと言えばそれまでなので須賀、大きな違和感なく読み進めることができました。

と、敢えてヌルッとした言い方にしたのは、既述のように、本書での議論は演繹的な「証明」とはやや趣を異にしていると理解しているからです。解説にもあるように、「プロテスタンティズムの倫理」が近代資本主義の唯一の起源だと主張しているわけではなく、一つの、ただし重要な契機として踏まえるのがよいのでしょう。

「禁欲」なき後の資本主義

あと、やはり印象的なのは最後の指摘ですね。プロテスタンティズムの禁欲が資本主義を育てていく過程で、そこに元々あった禁欲自体はフェードアウトしていき、結局純粋な競争に化しつつある、と20世紀初頭のウェーバーは喝破しました。

確かにその後、資本主義は地球大の影響力を誇るようになり、一方で地球環境は破壊され、人間・地域間の貧富の差は広がり、そしてリーマンショックのように、行き過ぎた資本主義が自壊するかのような現象も起こるようになりました。

プロテスタンティズムの禁欲が、あくまで近代資本主義が多く持つ源流のone of themに過ぎないなら、例えば資本家たちに「ピューリタン精神の復興」を説いても、事の解決には至りそうにないということになるでしょう。それでも、ウェーバーが示唆したような行き過ぎを修正せねばならないことが明白となっている今、どんな人たちが語るどんなコンセプトがその旗印になっていくのだろうか?漠然とそんな疑問に思い至りました。

宗教社会学の良書で復習

この本を読むにあたり、『世界がわかる宗教社会学入門』『ふしぎなキリスト教』の2冊を読んでおさらいしてみました。個人的にも、宗教そのもののありようという以上に、社会構造としての宗教が人々や社会・政治のあり方にどのようなインパクトを与えたと考えうるか、というあたりに惹かれることが多いので、久々ながら、楽しく読むことができました。

『感染症の日本史』(磯田道史)

 

古代から100年前のスペイン風邪まで、日本における感染症の歴史から、新型コロナウイルスが流行する現代への教訓を得ようとする本です。雑誌連載を中心に再構成された本なので、エッセイ風の文章になっています。

著者もわかっているはずで須賀、歴史上の一見類似した事象をどこまで現代にあてはめ、教訓にするのが適切であるかは、非常に難しい問題です。特に本書の場合、既述のように時代に並走しながら、現在進行形の出来事を手探りで書いたものが元になっていますので、その悩ましさはなおさらでしょう。

それを措いても、特に江戸中期以降の科学的思考の萌芽(感染症の性質への理解が進み、お化けや呪いを本気では信じなくなっていく)と先駆的な対策、翻ってスペイン風邪の際の後手後手の対応など、興味深い知見は多く紹介されていました。速水融さんとのエピソードも面白かったので、今度著書を読んでみたいです。

『アフターデジタル』『アフターデジタル2』(藤井保文、尾原和啓)など

 

デジタルがリアルを包摂する「アフターデジタル」時代のビジネスのあり方について論じた話題書です。アリババ、テンセント(やその系列の諸サービス)など中国での事例が多く紹介されており、「昨今の中国デジタル事情」を追っていくだけでも非常に面白いで須賀、この本の主題はそこではありません。

こうした企業が持つOMO(オンラインとオフラインを一体のジャーニーとして捉え、オンラインの競争原理から考える)の思考法を解説し、さらにはそれが目的ではなく、顧客に提供する価値を増大させるための手段であることを解き明かしていきます。実際にアリババのスーパー「フーマー」を見学した日本のビジネスマンは、フーマー同様の仕組みや無人店舗の導入自体に興味を示すことが多いそうで須賀、あくまでもミソはオンライン・オフラインの枠を超えて顧客の利便性に貢献することや、そのためのデータ収集にあることが強調されていました。

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よく言われることではありま須賀、データの収集や分析を自己目的化させないというのも重要な観点ですね。

日本企業のよい例・悪い例や、社内でどうやって変革を進めていくのがよいのかなどにも多くの紙幅が割かれており、読者の置かれている状況が違っても、それぞれに学びがある本だと思いました。

『デジタルエコノミーの罠』(マシュー・ハインドマン)

【目次】

 

インターネットの理想と現実

インターネットは、その普及当初から想像されてきたほど平等・分権的で、「ジャイアントキリング」が頻発する世界ではない。巨額の投資による僅かずつのサイト改善の積み重ねが大きな差として広がり、GAFAのように安定した地位を得るに至った巨人とその他大勢に二極化しているー。そんな身も蓋もない事実を、データを用いながら立論していく本です。

サイトの「粘着性」とは

著者は、サイトがユーザーを引きつけ、長く滞在させ、何度も戻って来させる能力(粘着性)という概念に着目し、Googleが検索などのスピードを少し高めるためにどれだけの投資をしているか、自動レコメンドにおいて規模の大きさがいかに優位か、そしてそうした差がどれだけ広がっていくか、といったことを説明していきます。

その上で、大きなサイトほど地位も安定していること、当初期待された「地方発のインターネットジャーナリズム」が群雄割拠するような状況とは程遠いことなども紹介されます。

生き残りの前提条件

デジタルエコノミーにおける新聞社の立ち回りを考える立場の私にとって、割と救いのない話に終始してはいま須賀、著者の言う「粘着性」を高めるサイトづくりのヒントにも触れており、勉強になりました。読み込みを速くすること、自動レコメンドの充実、コンテンツを増やし更新頻度を高める(短い記事を増やす)、見出しの改善に時間をかける、複数の写真をスライドショーにする、ABテストを積極的に実施する、など。

これらは特段珍しい取り組みではありませんし、やれば救われる免罪符のようなものでは決してありませんが、生き残りの前提条件として、押さえておくべき点だと理解しました。