かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー)

【目次】

 

宗教社会学の代表的名著

カルヴァン派の予定説を典型とするプロテスタントの諸教理が(修道院ではなく)世俗内での禁欲を浸透させ、強制的な節約と財の獲得の正当化によって、結果的に資本形成と生活態度の合理化を促進した。これが、近代資本主義の発展の一大要因となったー。非常によく知られた宗教社会学の名著です。

難解とされることもあるそうで須賀、訳が平易ということもあるのでしょうが、意外と読みやすかった印象です。

重要な契機の一つとして

本書では「教義」「教会規律」といったものではなく、個々人の宗教意識が生活態度に及ぼした影響から論じている、との自任通り、さまざまな宗派の実際の展開に即した形で議論を導いています。そもそも私にそれらの宗派についての予備知識が少なく、その当否を云々する準備がないと言えばそれまでなので須賀、大きな違和感なく読み進めることができました。

と、敢えてヌルッとした言い方にしたのは、既述のように、本書での議論は演繹的な「証明」とはやや趣を異にしていると理解しているからです。解説にもあるように、「プロテスタンティズムの倫理」が近代資本主義の唯一の起源だと主張しているわけではなく、一つの、ただし重要な契機として踏まえるのがよいのでしょう。

「禁欲」なき後の資本主義

あと、やはり印象的なのは最後の指摘ですね。プロテスタンティズムの禁欲が資本主義を育てていく過程で、そこに元々あった禁欲自体はフェードアウトしていき、結局純粋な競争に化しつつある、と20世紀初頭のウェーバーは喝破しました。

確かにその後、資本主義は地球大の影響力を誇るようになり、一方で地球環境は破壊され、人間・地域間の貧富の差は広がり、そしてリーマンショックのように、行き過ぎた資本主義が自壊するかのような現象も起こるようになりました。

プロテスタンティズムの禁欲が、あくまで近代資本主義が多く持つ源流のone of themに過ぎないなら、例えば資本家たちに「ピューリタン精神の復興」を説いても、事の解決には至りそうにないということになるでしょう。それでも、ウェーバーが示唆したような行き過ぎを修正せねばならないことが明白となっている今、どんな人たちが語るどんなコンセプトがその旗印になっていくのだろうか?漠然とそんな疑問に思い至りました。

宗教社会学の良書で復習

この本を読むにあたり、『世界がわかる宗教社会学入門』『ふしぎなキリスト教』の2冊を読んでおさらいしてみました。個人的にも、宗教そのもののありようという以上に、社会構造としての宗教が人々や社会・政治のあり方にどのようなインパクトを与えたと考えうるか、というあたりに惹かれることが多いので、久々ながら、楽しく読むことができました。