かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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宗教を考え知るための名著2冊

宗教学の名著30 (ちくま新書)

宗教学の名著30 (ちくま新書)

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

世界がわかる宗教社会学入門 (ちくま文庫)

雷に打たれたような衝撃的な契機があったように語ると嘘になるで生姜、バリに行ってきた際、宗教やそれに関する学知に関して非常に無知かつ無関心な自分に気付かされまして、少しでもそうしたものに触れてみようと読んでみることにしました。
1冊目はたまたま拝見したhttp://burogu-mircea-blog.blogspot.jp/2013/05/blog-post_23.html?m=1で薦められていたもので、2冊目は「こういうスーパースターの本に安易に飛びつくな」と同じエントリに書いてあったにも関わらず、目について面白そうだったので安易に飛びついてしまいました*1。ただ、この2冊の組み合わせで宗教学の門を叩けたことは、私にとっては幸せだったと思っています。
2冊目は*2、宗教を重要な社会構造として捉え、それらの解明を図る宗教社会学の入門書でありつつ、ユダヤ教キリスト教イスラーム、仏教、儒教といった世界的宗教についての基礎的な知識を与えてくれる本です。
翻って1冊目は、さらに一般的、場合によっては抽象的な思索を含んでいます。著者は「宗教に関わる事柄を取り上げながら、人間とは何かを考察していく」宗教学を展望し、その学際的なあり方を強調します。その著者が選んだ30冊ですので、空海、カント、ウェーバー、デュルケム、柳田國男ホイジンガバタイユ…と、中には一見「宗教学者」と見なされなさそうな人も並んでいます。
その中で何をピックアップするかはどうしても私の個人的な関心を反映してしまうので須賀、どんな社会的要請が宗教を生み出したのか(そしてそれが当該社会にどんな影響をもたらしたのか)という問いには、多くの論者が挑んでいます。政治的権力者への畏敬の念が一神教を生んだ、などとして多神教との冷静な比較論を展開したヒュームを嚆矢として、キリスト教を「奴隷道徳」とまで罵ったニーチェの議論、トーテミズムやそれに関連したフロイトの「父殺し説」、人類が世界の恐ろしさと自らの無力さを悟り救済宗教を形成する「軸の時代」(ヤスパース)の概念などは、この流れの中にあるでしょう。もっと言えば、絶対的権威を否定し「神の死」を宣告したニーチェに象徴される議論にどう応答し、あるいは発展させていくのかが、現代の宗教学における見どころの一つであるとも言えると思います。この本の最終章に出てくるものなどは、特にそう理解しました。
2冊目はかなり具体的に、特定の宗教が社会構造としていかに作用したかを挙げてくれます。神との契約に関する考え方が立憲主義や革命概念に、二王国論*3国民国家に、ギリシャ正教組織が共産党組織に、ルターの「天職」が市民や平等、国家の暴力独占の考え方に、孟子儒教社会主義明治維新に…。
こうした「目からウロコ」が次々と繰り出されるあたりはさすが「スーパースター」だなあと思ったわけで須賀、例えば「儒教は人治だから中国では法の支配が根付かない」という指摘は、聞いてどうお感じになりますか? 実は先述の孟子明治維新についてもその側面はあり、当然著者もその点を踏まえた力加減で書いてもいる(ように見える)ので須賀、ある社会のあり方をどこまで宗教に還元して考えるべきかは慎重に検討すべき問題でしょう。社会間の相違の全てを宗教の所為にしてしまうと、下手をすると「文明の衝突」みたいな話になりかねない。それは却って「宗教に関わる事柄を取り上げながら、人間とは何かを考察していく」ことに資さないように思えます。
宗教に関する基礎的な思索と知識の両方を与えてくれた2冊。本当にたまたまながら、いい組み合わせで出会えたなあと思っておるので須賀、個人的に一番驚いたのは「浄土教における極楽はチグリス川河口に実在した小島」なる説の存在でした。これについて詳しく知りたいので須賀、もし詳述されている本などご存じの方、是非ご教授いただけないでしょうか?

*1:過去にも飛びついたことがありました

*2:機械的に読んだ順番にご紹介しておりますゆえ

*3:カエサルのものはカエサルへ、神のものは神へ