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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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ふしぎな聖徳太子/『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎、大澤真幸)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

一神教たるユダヤ教とは、イエス・キリストとは、キリスト教の西洋世界への影響とは。この三つの問いを柱にキリスト教にまつわる様々な事柄を極めて分かりやすく紹介する対談本です。「分かりやすい」という言葉も多義的で、平明な言葉で語られているとか、文意がとりやすいとか、対象とする事物への容易な理解を促すとかいろいろな意味がありま生姜、少なくとも今挙げたすべてはこの本に当てはまります。
読んでいて自分のユダヤ教イエス・キリストに対する無知にも驚かされましたが、特に印象的だったのは、最後の柱と関連する「慎子信仰というのは、意識のレベルと、本人が意識していない態度や行動のレベルとがあるような気がします」「キリスト教から脱したと見えるその地点こそが、まさにキリスト教の影響によって拓かれている。そういう逆説が、キリスト教のふしぎの一つだと思います」といった指摘でした。これは何を言わんとしているかというと、例えば『利己的な遺伝子』で知られるリチャード・ドーキンス無神論者を称し、進化生物学の見地から福音派が大好きな創造説を攻撃しているが、その知的な態度こそまさに宗教的なのではないか、あるいは、一神教的発想と自然科学へのモチベーションって親和性が高いよね*1といったようなことで、その意味において、キリスト教の日本社会への影響は想像よりずっと大きいんだ、というようなことが説かれています。というよりむしろ、そのことをアピールすることがこの本の狙いでもあるようです。
ただその意味で一つ気になったのは、最終章にしばしば登場する他宗教との比較がやや、現代をゴールとみなして宗教をその理由づけに用いているように読めてしまった点です。「キリスト教のこういう側面がこういうベクトルを生んだ」という議論の仕方であれば問題ないと思いますし、その対応関係において明らかにおかしいものがあるとは思いませんでしたが、ともすれば宗教決定論的に聞こえてしまう。彼らがそこまで言っているとも思いませんが、今ある全てが宗教ゆえではないでしょうし、やや話はずれま須賀、大航海時代産業革命を経た今がゴール*2ではない以上、どの宗教のどんな特性がどんな作用をするかは分からないはずです。そういう意味で、最終章を前の二つ同様、もうちょっと丁寧に議論してくれてもよかったんじゃないかと思っています。
それにしても、知っているのが当然のように思われているイエス・キリスト。「君はイエスキリストを知っているのか!」 もし深夜討論番組で唐突にそう聞かれた時、人格破綻だと言われないために、読んでおくとためになる本ではないでしょうか。

*1:「神の被造物たる宇宙を理解することで神の意図を理解したい」「神は宇宙を造ったけどとりあえずいなくなったんだし、あとは理性のある人間にまかされてるんじゃね?」など

*2:それこそ「終末」