現場を離れて久しい新聞記者のブログ。 読んだ本の紹介や旅行記(北朝鮮竹島イランなど)が中心です。 

『ことばと思考』(今井むつみ)

ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)

「言葉が異なれば、その話者の認識は決定的に異なる」というウォーフ仮説をきっかけに、多言語の比較や子どもの言語獲得過程の検討などを通じ、言葉が認識にどう影響するかを考える本です。
議論の流れとしては、数字を数える言葉が「イ」(=1)と「ホ」(=2)しかない言語があるなど、言語がこの世界を実に多様に切り分けていることを最初に紹介し(1章)、それぞれの話者による実験などを通じてその影響を検証します(2章)。お次は一転、とはいえ言語による世界の切り分け方はそんなに恣意的なものでもないんですよ、というお話。「イヌ」や「ブナ」といった基礎的な語彙に関しては普遍性が高い、つまり、例えば日本語で言うところの「イヌ」と「タヌキ」、「キツネ」の一部をまとめた基礎的語彙があったり、そもそもそれらを呼ぶ基礎的語彙が存在しなかったり―ということは原則的にはなさそうですね、ということを論じます(3章)。さらに、『赤ちゃんの不思議』とも重なるような実験結果を多く示しながら、赤ちゃんが言語を習得することで、「革命といってよいほどの大きな認識と思考の変容」が生じることを示していきます(4章)。
…と、それぞれ興味深い話ばかりなのでおさらいまでしてしまいましたが、結論としては、それぞれの言語によるバイアスはあるものの、ウォーフが言うほどの「相互理解が不可能なほどの違い」はない、と述べています(5章〜)。最後の最後になって「そもそも『相互理解が不可能な違い』とは、どのレベルの違いのことをいうのだろうか」と言い出すのも結構な剣幕だと思いま須賀(笑)、確かに指摘の通り、「全く影響がない」だとかその真逆だとかを言い募って白黒をつけるような話ではないと思いますし、その点「どう影響するのか」を丁寧に追った面白い話だったと思います。
最後に気になったことを一つ。過去に『寝ながら学べる構造主義』『現代思想のパフォーマンス』あたりを読みかじった限りの理解では、この本での議論は基本的にソシュールの業績を踏まえた上で、具体的な事例や実験に即して展開されたものだと認識するので須賀、最初から最後までソシュールの「ソ」の字も出てこなかったのは何か理由があるんですかね? それだけ血肉化された知見と見なされているのか、それとも私が何か勘違いをしているのか…w