かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
ブログランキング・にほんブログ村へ

聖典をいかに読み解くか/『コーランを読む』(井筒俊彦)・『コーランの読み方』(ブルース・ローレンス)

【目次】

 

「開扉の章」をじっくり論じる

コーラン冒頭部にあり、そのエッセンスが残らず含まれているとされる「開扉の章」を中心に、コーランのレトリックや思想を読み解こうとする本です。40年ほど前の著者の講座から構成されており、書名に似合わず(?)読みやすい本です。

本書を通じて著者は、コーランの各文言がどのような意味で用いられ、どのように理解されていたかを文献全体から検討し、神(アッラー)から預言者ムハンマド)への発話行為パロール)の状況で理解していくべきだ、と説きます。好き勝手に解釈を膨らますのではなく、当時の状況を踏まえて厳密に解釈を絞り込んでいくべき、ということですね。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

私自身、10年近く前にコーランの(もちろん)日本語訳を読み、かなり勝手な感想を書き散らしたことがありますが、本書を読むと、その時は考えもしなかったようなコーランという書物の輪郭が姿を現します。

コーランの発展史と2系統の「神の名」

例えば、これは比較的よく知られていることで須賀、各章は大まかに新しい順に並んでおり、前期(メッカ期)は神がかった/シャーマン的な終末論、中期は預言者たちの物語、後期(メディナ期)は法律的規定や時事問題への言及ーなどと、20年間の発展史があります。そしてこの時期ごとに、言語表現のあり方もかなり異なっています。

また、イスラームでは世界の全存在は神のしるしであり、それらは存在しているだけで神を讃美していることになるとされま須賀、人間はその讃美を拒否する自由があるといいます。しかしその時、神はこれまでと打って変わって厳しい表情を見せ、端的に言うと地獄に落ちることになる。この神の表情の多面性は、神が多くの名を持ち、それがちょうど「北風と太陽」に対応する2系統に分かれることとも関連しています。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

「神の名がたくさんある」というのはこの時、イランで教わったのが懐かしいです。

「読まれ方」の変遷史

一方、こちらは、コーランの「読み方」というよりは、各時代・場所による「読まれ方」について理解を深められる本です。

ムハンマドとその教友たちの物語から、その有力者・アリーの系統を奉じるシーア派の解釈、スーフィズムコーランを西洋に紹介した翻訳者の思い、その西洋中心に進んだ近代化に直面したムスリムたちの読み直し、そしてあのオサマ・ビンラディンのつまみ食い的なコーラン理解まで、歴史を追いながら物語風に読み解いてくれます。つまりそれは、イスラーム思想史だと言って差し支えないと思います。

発話状況の理解あってこそ

個人的には、長らく聖典であり続けている文献の解釈可能性やその変遷、そして社会との相互作用、というような議論には心惹かれるものがあります。ただ、それはかつての私のように、文面だけ適当に読んだだけの解釈を振り回せばよいというものではないはずです。当時の発話状況を踏まえ、これまでの解釈を下敷きにした上で議論することが、イスラームへの深い理解と、イスラーム自体の発展に資するのだろうなあと感じた次第です。