現場を離れて久しい新聞記者のブログ。 読んだ本の紹介や旅行記(北朝鮮竹島イランなど)が中心です。 ブログランキング・にほんブログ村へ

アッラー、挨拶を奨励/『コーラン』(訳・井筒俊彦)

コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)

コーラン 上 (岩波文庫 青 813-1)

コーラン〈中〉 (岩波文庫)

コーラン〈中〉 (岩波文庫)

コーラン 下 (岩波文庫 青 813-3)

コーラン 下 (岩波文庫 青 813-3)

コーランを日本語に解釈しなおした*1本です。これはアッラーつまり神*2から預言者であるムハンマドに下った予言を言わば羅列したもので、今風に言えば以下のような趣旨のことが書かれています。

アッラーあげぽよ。世界とか全部造った系だから信じた方がよくね? アッラーを信じたら最後の審判で天国とか行けちゃって、そこの食い物がチョーまいうーな上にかわうぃー巨乳のねーちゃんとヤりまくれるらしい*3よ。でも信じなかったら地獄に落されて、半殺し状態で火あぶりにされ続けるんだけど! チョーありえないっしょ。てかノアの箱舟とか知ってる? 最後の審判の前でもアッラーに逆らった連中はボコボコになったらしいじゃん。

私の読んだ限りにおいて大意というのはざっくりこんなところで、大宗教であるイスラーム聖典について概説的に述べることは私の能力にも余りますし、それをここで試みることにどのくらい意味があるかも疑問です。ただ、その経典を通しで読んだ中で印象に残ったことをいくつかだけご紹介したいと思います。
まずは、イスラーム以前のアラビア(ムスリムの言うところの「ジャーヒリーヤ」)の宗教や風俗との関係性です。イスラームがこの地域を席巻する以前、アラビア半島には多神教の信者が多く、当然ムハンマドの掲げる一神教とは対立関係にあります。では彼は、そうした古いアラビア半島の風習を全否定したかというと必ずしもそうではない。法規範的な側面の強い後半期の啓示の、例えば婚姻に関するもので言えば、共にイスラーム以前の風習でありながら「妻も財産の一部として遺産相続の対象となる」という慣習は禁じられる一方、「成婚時に新郎側から新婦側に財産を贈る」という習慣は行うべきものとして明示されている(4章)。まさに女性をモノ扱いするような前者の慣習に関して、21世紀初頭の日本に生きる私は不快の念を禁じえませんが、訳者の注によると後者は「嫁を買い取る」ことから発したものであるそうで、両者に流れる女性観が大きく異なるとは思えません。
もっとイスラームにとって根源的な問題で言うと、ムスリム偶像崇拝を強く忌避しているというのはバーミヤンの例などによってよく知られており、全くのウソでもないわけで須賀、かの有名なメッカのカーバ神殿の黒石*4ムスリムの尊崇を集めているというのは、言ってしまえばアラビアなどで広く行われた偶像崇拝の一種、聖石崇拝に他なりません。
もう一つ、衝撃的なことを言うと、唯一神たる*5アッラーの一人称は「我ら」です。ぐっと話を戻せば、このコーランというのはアッラームハンマドに語りかける形式をとるため、アッラーの言葉として「オレの言うことを聞かない奴は云々」と書かれているのが(あくまで)基本*6なわけで須賀、言うまでもなく「我ら」とは「we」や「우리」に相当する一人称複数の人称代名詞であるんであります。これまた訳者の注によると、これはアッラーが自分の威厳を示すためにそう自称しているんだそうで須賀、ここにも多神教時代のアラビアの影響を強く感じてしまうのは私だけでしょうか? この訳注を100%そのまま受け取ったとしても、複数の方が威厳が出るという考え方自体が言わば「多神教的」と思えてなりません。
このようにイスラームは、それ以前のアラビアのあるものは否定し、あるものは引き継いだり取り込んだりして教義を形成してきました。ここまででの記述ではちょっと継続に話が偏り過ぎているかもしれませんが、ムハンマドカーバ神殿に入る際、各部族が祀っていた偶像を片っぱしからぶち壊しています。そんな「暴挙」に出ながらも、事実現在まで黒石は残っている。それのみではない言わば取捨選択の巧みさが、イスラームの初期の試みを成功させ、世界宗教にまで発展させてきた一要素なのかもしれません。
もう一つ簡単に挙げるなら、「旧約聖書」「新約聖書」に出てくるような話が非常によく出てきます。イスラームにおけるムハンマドは、モーセやイエスに連なる預言者の1人であり、そしてその最後の存在であるため「預言者の封印」とされます。そもそもイスラームでは、それらの一部を啓典と認めており、その意味でユダヤ教徒キリスト教徒は「啓典の民」とみなされているのです。ですからノアの箱舟モーセ出エジプト、マリアの処女懐胎などに関するストーリーが、コーランの随所に登場します。付け加えるなら、十字軍と戦ったサラディンが建てたアイユーブ朝の「アイユーブ」は、旧約の「ヨブ」のアラビア語形で、オスマン・トルコのスレイマン一世の「スレイマン」はソロモン王の「ソロモン」から発しているのだそうです。「啓典の民」というような考え方についてはよく知られているので生姜、実際に読んでみて、その「リンク」の強さは想像以上でした。
しかし文庫本で1000ページ弱というなかなかの分量の中には、なかなかに面白い話も出てきます。ムハンマドが養子の妻を自身の妻に迎えたことへの言い訳(33章)や、浮気(複数の妻の間のローテーション違反)がバレた後の開き直り(66章)としか読めないような「啓示」には正直笑いました。しかしここは、私が最も感銘を受けた一節を紹介することでこのレビューを締めたいと思います。

誰かに丁寧に挨拶されたら、それよりもっと丁寧に挨拶し返すか、さもなくば、せめて同じ程の挨拶を返せ。アッラーは一切を正確に勘定し給う。(4章88節)

*1:「日本語訳」と言わないのはアラビア語のものだけがコーランだから。表題の「訳」は本の表記に従いました

*2:アッラー(Allāh)」という言葉は、定冠詞「al」+普通名詞「ilāh」から来ており、これは「the god」に相当するのだとよく言われます。ちなみにこの定冠詞「al」は、「アルコール(alcohol)」の「al」であるともされます。狙ったわけではありませんw

*3:女性を中心に数少ない読者の方の気分を害することを覚悟で言うと、コーランに付随する伝承的な部分も加味すれば、この女性たちは人間の子供ではなくアッラーが天国に来たムスリムたちを「接待」するために造った存在で、何度男性と寝床を共にしても処女性は失われず、しかもその回数はムスリムが生前断食をした日数に応じて決まるのだそうです。どれを取ってもすごい話です

*4:あの巡礼者がぐるぐる回っている黒い直方体は石ではないそうです

*5:変換したら「唯一慎樽」って出たがこのPCはどんな教育を受けてきたんだ?

*6:なので上の要約は直接的には人称が違っています