【目次】
文豪最晩年の大長編作品
ロシアの文豪・ドストエフスキーの最晩年に著された大長編作品です。
皮肉屋で退廃的に情欲を追い求める「道化」たる父・フョードル、粗暴なほどの直情・情熱・享楽に象徴される長男・ドミートリイ、シニシズム的な知性をひたすら発展させていった二男・イヴァン、輝かしい人間愛で奔走する三男・アリョーシャに加えて、その周辺の多彩な人物たちが、物語中盤に起こるある大事件にさまざまな立場から直面していくことになります。詳しい物語展開に関心のある方は、ぜひ本書を手に取ってみてください。
ロシア社会の脱魔術化と「カラマーゾフシチナ」
この物語の一番の背景にあるのは、19世紀ロシアで進んでいた社会の脱魔術化*1だと思います。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
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これらの同時期の作品でも表現されているような、ロシアの伝統的価値観・感覚の中に西欧発の近代合理主義が入り込んで来たことへの人々の困惑や葛藤が、本作においてこれだけ多様な登場人物の造形を可能にしているのだと思います。ドミートリイが前者、イヴァンが後者*2を象徴しているとされていますね。特にドミートリイ的な「混沌、狂乱、激動、極端から極端に走るがむしゃらな性質」は、同時代において「カラマーゾフシチナ(カラマーゾフ的な人物・精神)」と称され、「単純、緩慢、鈍重、優柔」といった気分を表現する「オブローモフシチナ(オブローモフ的な人物・精神)」と好対照をなしつつロシア国民性の一端を表すものとみなされたそうです。
宗教の役割は
一方、僧院出のアリョーシャは一見すると前時代的なカテゴリーにいそうで須賀、一番若く、かつ各登場人物を結ぶ役割を果たし続けてきたことを考えると、ロシアの伝統的価値観と西欧近代主義を宗教が媒介し、取り持っていくようなモチーフがあるのかもしれません。
著者が続編の執筆を想定していたらしいということもあってか、兄弟ら主要登場人物たちの未来がはっきりと示されることがないまま終わるのも、私としてはよかったと思いました。ラストシーンはある少年の死であり、論理的関係はありませんがそのコントラストとして、彼らは何らかの形で生きながらえ続けるのではないかと想像させられました。
*1:マックス・ウェーバーの用語ですね
*2:とはいえそれを貫徹してしまうほど単純な人物としては描かれていません