【目次】
一冊目はナチス・ドイツとソ連の凄惨な戦争を論じています。二冊目は、独裁者としてヒトラーと並び立つ悪名を誇るスターリンの伝記です。
双方グロッキーの大消耗戦
独ソ戦を一言で言えば、軍事的合理性を欠いた両独裁者による「双方グロッキー」の大消耗戦です。序盤から後退を続けるソ連軍と、決定打に欠き次第に「決定打を与える能力」を失っていく独軍。そして双方とも個別的な自軍の成果を過大評価し、調子に乗って大失敗をしでかすー。その繰り返しとお互いの「世界観戦争」としての位置付けが、無慈悲な、それ以上に国際法違反甚だしい残虐な行為の連鎖に繋がっていくさまを克明に描いています。
ヒトラーと対照的な少年時代
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「スターリン」の名が「鋼鉄の人」を意味するペンネームであることと同様、後にそう名乗ることになるジュガシヴィリ少年が、現在のグルジア生まれであることもよく知られているでしょう。彼は、ヒトラーが絵画などの芸術を好み、当初その道を志したのと対照的に優等生として育ち*1、その過程でロシア語を学び、マルクス主義に触れることで、革命家としての生涯を歩んでいきます。二冊目の伝記は、そうした過程を史料に基づきつつ、着実に論じています。
史料に拠って独裁者の心象風景を描く
1930年代後半の大粛清はよく知られており、それが独ソ戦での序盤の敗退*2にもつながっているので須賀、本書ではスターリンが墓穴を掘るかのような「凶行」に走った理由についても、解説を試みています。
著者によるとスターリンは、自分たちボリシェビキが戦争中に革命を成し遂げていったのと同様、また戦争が起きれば我々の政権も倒されてしまうのではと恐れていたといいます。さらにはかつてスターリンが、死期を悟ったレーニンにより権力均衡のために共産党書記長を解任されかかったことがあり、自らの正統性にミソをつける「故事」を知る古参の幹部を押さえつけたいと感じていた点も指摘されています。二つ目は解説でも重視されていた点で須賀、こうした「凶行に走る独裁者の心象風景」を、もちろん内在的に、しかしあくまで史料に準拠しながら、描き出そうとする優れた伝記に仕上がっていると思います。
レーニンから受け継いだ?ナンバー2叩き
少し話を戻すと、死の床にあったレーニンがとった「自分以外に抜きん出た存在を許さない」という手法は、後にスターリンも駆使することになります。その最大の標的となったのは、独ソ不可侵条約の締結にも携わった体制ナンバー2・モロトフでした。彼はスターリン体制(すなわちスターリンの生涯)の末期に、ソ連の実質的な最高意思決定機関(?)たるスターリンのインナーサークルからも排除され、スターリンが別荘で倒れているのが見つかった当初、緊急対応で呼ばれることもありませんでした*3。
本書では、そうした「独裁者・スターリンが倒れて死ぬまでの数日間」の様子が、スターリンの幼少期からの人生と交互に現れる構成になっています。なかなかトリッキーではありま須賀、1953年3月上旬と、スターリンの歩んだ75年近い人生の道筋を行き来しながら、良くも悪くもデフォルメされた「希代の独裁者」ではなく、等身大のヨシフ・ジュガシヴィリに迫ることができたと感じています。