かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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織田信秀の判断は悪い相続の典型例/「麒麟がくる」第十二話

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明智家・織田家・斎藤家それぞれに大きな変化のあった回でした。

明智光秀は、幼馴染みとの設定の妻木煕子と結婚しました。煕子は結婚直前に病気にかかって顔にその痕が残ってしまったものの、光秀は気にせず妻に迎えた、という話が残るなど、(当時からすれば)仲睦まじい夫婦となっていくようです。ドラマでは、帰蝶や駒の心情の機微の描写と比べて、ちょっとあっさり成就しすぎな気はしましたけどね(笑)ネットでは「煕子はあざとい」という反響もあるそうで須賀、その辺とも関係あるのかもしれません…

さて、一方の織田家では死期を悟った信秀が、前線の末盛城を信長ではなく弟・信勝に譲りました。信長の麾下でも大活躍する柴田勝家らも信勝につけるなど、「信勝重視」が透けて見える判断。中国古典の韓非子あたりにある、悪い家督相続の典型例のようなもので、当然これは悲劇的な結果を招くでしょう。それこそ韓非子流に言えば、嫡男の信長に継がせるなら信勝に城を与えるべきではないですし、信長を廃嫡して信勝に継がせるつもりなら、信秀は自分が生きているうちに信長を殺すべきだった、ということになりそうです。

斎藤家では、土岐頼芸による道三暗殺未遂に端を発し、親子関係の決裂が強く示唆されます。ドラマの中では「義龍の言うことをなんでも聞く」約束をしたはずの光秀で須賀、「ケチ!」などと罵りながらも、道三の魅力に惹かれているようにも見えます。この先どう立ち回るのでしょうか。

 

 

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新書の2類型について/親子の2020年3月読書「月間賞」

長男はこちらのようです。

大好きな祖父に買ってもらったということもあるで生姜、「ゾロリの中で一番面白い」と言っていました。両親や祖父など、彼の身の回りに野球(観戦)好きが多いことも関係あるのかもしれません。

 

私は該当なしにしました。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

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このどちらかで悩んだので須賀、結局決められず。この2冊を次点にしたいと思います。

次点は、新書としては対照的な2冊になりましたね。前者は「専門書の入門編」みたいな本で、切り口よりは全体像を示すことを重視しています。後者は「読み応えのある長尺の雑誌記事」的で、ネームバリューのある著者のメッセージ性が押し出されています。傾向として、後者の方がより時事的で、例えば3年後に読んで違和感が小さいのは前者、ということになるでしょう。

ここで新書の歴史を語るつもりはありませんが、前者の類型はまさに「岩波新書型」とでも表現しましょうか、中公新書とかちくま新書とかもこちらが多い印象です。後者は一世を風靡した『バカの壁』以降、増えたのかなという気がします。どちらにも魅力があり、選びきれなかったというのが今月なので須賀、例えば電子書籍化がより進んだ時に、「新書」という形態のメディアに載っている両者がどうなっていくのかは興味のあるところです。

 

 

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思惑が交錯、手に汗握る展開(と朽木氏についても)/「麒麟がくる」第十一話

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今日はストーリー展開が上手くできていましたね。

今川義元との戦を収めたい織田信長明智光秀の思惑と、斎藤道三と義龍親子の仲を裂きたい土岐頼芸の思惑、調停者としてありたい将軍・足利義輝の思いが絡まりあって、今川・織田の両者に和睦を命じる使者が遣わされたーとの筋書きですね。これらの折衝に光秀が介在している点など、フィクションが積み重ねられていま須賀、全体の構図に基づいて展開されているだけに、違和感のない、手に汗握るストーリーになっていたと感じます。

次回は尾張・美濃ともに親子関係に変化がありそうです。光秀の結婚だけでなく、こちらに注目したいです。

 

ちなみに、で一つだけ言うと、最後に将軍家が頼った朽木氏は、源平合戦でも活躍した名門・近江源氏(頼朝や足利氏などとは別流の宇多源氏です)の流れを汲んでいます。信長の野望では地味な印象なので須賀、京に近い西近江を拠点としたことで、室町幕府にも影響力を持ったそうです。調べてみると、信長を救ったり、関ヶ原で寝返ったとされたりと、この先も結構重要な役割を演じるのですね。本作でどこまで出てくるかわかりませんが…

 

 

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一言目を発するまでの苦難の道のり/『赤ちゃんはことばをどう学ぶのか』(針生悦子)

 

赤ちゃんはことばをどう学ぶのか (中公新書ラクレ)
 

赤ちゃんはことばをどのようにして学んでいくのか、胎児期から早期外国語学習までを平易に論じた本です。

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この本にも出ていたような研究手法を用いつつ、赤ちゃんが言語を習得していくまでの苦難の道のりを紹介しています。

例えば、話しかける人による声質の違いや、感情の起伏などによる抑揚の違いは無視しなければならないなど、その言語ならではの音の聞き方を身につけられるのが生後12カ月ごろ(ちょうど、初めての言葉を発する時期)。そして、周りの人の視線や指差しを手がかりにして相手が示そうとしている対象物が確実に探せ、その時に言われた単語が対象物の名前だとわかるようになるのがやっと(?)1歳後半(話せる言葉が急増する「語彙爆発」の時期)なのだそうです。

さらに、外国暮らしで現地語を身につけるまでの期間は年齢の低い子供の方が長く、その一方で母語を忘れるスピードも速いとされているそうです。確かに言語やその文法について、抽象的な理屈のみならず、実体験をもってすら体得していない赤ちゃんが、母語や外国語を習得することが容易であるはずはありません。

この本では、タイトルとなっている赤ちゃんの言語習得のみならず、早期の複数言語教育についても焦点を当てて論じており、世間で言われているような「効果」については多くの留保をつけています。長男も半年ほど前から*1、週に一度の英語教室に通い始めました。これでもってバリバリのバイリンガルになると信じていたわけではもちろんありませんが、今は長期的に、外国語やそれを通じて繋がることができる人たちに関心を持ってくれればいいのかなと思っています。

 

ジャンルを問わず、本のあとがきや謝辞の部分は著者の自分語りを聞くくらいの関心で読んでいたので須賀、この本のそれはオチがかなり見事についていて感心させられました。

 

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*1:いわゆる保育園無償化で浮いた分を、本人の習い事代に投下するという家庭が周囲には多いです

政治スタイルに「諸刃の剣」も/『島津斉彬』(芳即正)

 

島津斉彬 (人物叢書)

島津斉彬 (人物叢書)

  • 作者:芳 即正
  • 発売日: 1993/11/01
  • メディア: 単行本
 

幕末の四賢侯に数えられ、西郷隆盛らを登用した薩摩藩主・島津斉彬の伝記です。

大局観に優れた人物で、また人材育成や産業振興を進めた業績は、明治維新後の殖産興業のさきがけともされています。「暗君なし」と称された島津家の歴代当主の中でも、抜きんでた評価を与えられています。

その生涯を見ていくと、やや意外にも「政局」に強いタイプではなかったように思えます。藩主の座を巡るお由羅騒動についても、斉彬サイドの動きが誘発した側面が指摘されていますし、最終的に目的を果たした際も幕府の介入を求めています。著者も述べているような「ある問題を解決するために、上位権力の介入を求める」政治スタイルは、統制の難しいプレイヤーを引き入れてしまうという意味で諸刃の剣でもあったはずです。諸刃の剣も使いこなせるなら立派な武器だとは言えま須賀、その腕前が如何なるものであったかは、もう少し検証の時間が必要だったかもしれません。

斉彬の突然の死は、西郷ら同世代人を大いに嘆かせました。それのみならず、後世の歴史ファンから見ても、あと10年存命だったらどうなっていたか、興味をそそられる人物だと思います。

 

 

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信長の「寛容さ」を示す兄とのエピソード/「麒麟がくる」第十話

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今回は、信長の兄・織田信広と竹千代(徳川家康)との人質交換の話が出ていました。

信広は側室の子であったらしく、嫡男扱いはされていませんでしたが、今川勢を撃退したこともあり、決してドラマのシーンのようにあっさり捕まってしまったわけではありません。

ただ、人質交換を経て織田家に戻った後、信秀の死後になりま須賀、一度斎藤義龍と結託して信長に対する謀反を企てています…と聞くと、きっと信長に誅殺されたのかと思いきや、さにあらず。信長に許され、長島一向一揆との戦いで戦死するまで、織田家一門の中でまとめ役的な立ち位置にあったそうです。

信長と言えば「殺してしまえホトトギス」的な、無慈悲かつ残虐なイメージを持たれがちで須賀、この庶兄・信広との関わりの中では寛容な一面を示しています。本作の信長は、どことなくそういうイメージも醸し出していますよね。

 

尾野真千子が標準語を話していたのが新鮮だった今回の放送で須賀、歴史の展開としては、そろそろネタがちょっと枯渇気味なのかなとも感じました。

 

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『テクノロジー思考』(蛯原健)

 

テクノロジー思考 技術の価値を理解するための「現代の教養」

テクノロジー思考 技術の価値を理解するための「現代の教養」

  • 作者:蛯原 健
  • 発売日: 2019/08/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

「近年において世界のあらゆる事象、組織、そして人間にテクノロジーが深く関与し、また支配的な存在として強い影響を与えている事実に焦点を当てた、新しい思考アプローチ」を「テクノロジー思考」と名付け、技術者でない人にこそそれが必要だと説く本です。

デジタルトランスフォーメーション活況の背景には、技術の発展とともに社会的要請がある。そのデジタルトランスフォーメーションは、地方活性化や社会課題解決と一体化しつつある。石油や通信の巨大企業がそうであったように、巨大IT企業が今後規制・分割されることがあっても、長期的には復活を遂げるシナリオもありうるー。欧州や中国、インドの状況なども含めて、興味深いトピックスがいくつも盛り込まれていました。

その一方で、この本で「新しい思考アプローチ」が提示されていたかというと、その点は疑問でした。これまでのイノベーションインパクトが異なる、という趣旨は理解しま須賀、総じて技術決定論*1的な議論が前面に出ていて、著者が言うところのノンテクノロジストとして身につけるべき汎用性のある思考法だとか、あるいはノンテクノロジストならではの(強みとしての)観点、というところまで話が進んでいかない点は、読後感としてもう一つかなという気がしました。

 

 

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*1:技術決定論については、昔『メディア文化論』などで勉強しました