ギリシアからの民主主義を巡る紆余曲折の歴史を、参加と責任をキーワードに語る本です。
先日行われたような選挙や、それが前提とする議会制はそもそも民主主義と由来を同じくするものではありません。自由民主党を中心とする政権が維持されることになりましたが、個人の多様性を前提に少数派の尊重を重んじる「自由主義」と、多数決で物事を進めようとする「民主主義」は、その長い歴史の中でむしろ対立しかねない概念と見做されてきました*1。そしてむしろ多くの場合、民主主義こそ危険なものと考えられてきたのです。
著者は本書の中で、何か具体的な主張や提言をするわけではないので須賀、いつにも増して民主主義の危機が叫ばれる中、ここまでに少し触れたようなその可変性、丸山眞男的に言えば「永久革命」的な性格に期待を表明しています。
この本は、著者が菅政権によって学術会議会員への任命を拒否された時期に書店に並び、その意味でも注目を集めました。その「事件」から最初の総選挙は、直前の内閣の交代でその責任(の有無や所在)を問うことなく終わってしまった観がありま須賀、図らずも当事者になってしまった身としてどうお感じになったでしょうか?
…それはともかくとしても、本書は語り口はソフトながら内容は濃密で、新書サイズで飲み込むのは逆にしんどいくらいでした。この先も折に触れて、めくってみるのがよい本かもしれません。
canarykanariiya.hatenadiary.jp
同じ著者の似たテーマでは、こちらも体系立ててまとまっています(こちらも噛み応えがありま須賀…)。