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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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皇位継承を保ち、「夜の関白」を生んだ政治形態/『院政』(美川圭)、『院政』(本郷恵子)

【目次】

  

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

院政―もうひとつの天皇制 (中公新書)

  • 作者:美川 圭
  • 発売日: 2006/10/01
  • メディア: 新書
 
院政 天皇と上皇の日本史 (講談社現代新書)

院政 天皇と上皇の日本史 (講談社現代新書)

  • 作者:本郷 恵子
  • 発売日: 2019/05/15
  • メディア: 新書
 

『中世史講義』からの関心で、同じ書名の本を2冊読んでみました。特に2冊目で指摘されているように、院政という仕組みがあったことが現在までの皇位継承を可能とした側面は大きく、その点からも興味がありました。

天皇家の家長として

簡単に言うと、院政天皇家の家長(後に治天の君と呼ばれる)が、自らの直系の子孫に皇位を継がせていくための政治形態で、最盛期には天皇や摂関の地位に対する人事権や軍事指揮権を持っていました。当初、院庁はあくまで上皇の私的機関であり、そこに近侍する院近臣達を既存の太政官に送り込むことで政治を掌握してきましたが、徐々に制度化し、国家機関化する職も現れました。また院は荘園公領制の下で莫大な富を手にし、それをいわゆる六勝寺の建造などに「蕩尽」していきました。

「ウジからイエへ」との関わりは

1冊目を中心に、院政の枠組みを説明しつつ詳細な政治過程を語ってくれており、全体的な構造や様相を知るのに適した本だと思いました。その上で詳しく知りたかったのは、中世の特徴とされる「ウジからイエへ」という方向性と院政の関係の諸相です。

両方の本が指摘しているように、院政の開始の大きな端緒となったのは、久方ぶりに「藤氏腹」(藤原氏の娘を母に持つ)でない後三条天皇が即位し、(中継ぎとして)息子の白河天皇に譲位しつつ、自分と同じく藤原氏を母に持たない実仁親王を皇太子としたこととされます。なので白河天皇は自分の息子を皇太子にしたその日に譲位する(堀河天皇)ことで、自分の子孫が皇位を継ぐ流れを作り上げたわけで須賀、後三条や白河のこうした具体的な振る舞いが出てくる背景に「ウジからイエへ」という変化がどのように関わっていたと言えるのか、ちょっと観念的過ぎるかもしれませんが気になりました。

「夜の関白」が抱えたギャップ

もう一つは、2冊目で触れられた役職の流動化との関係です。実質的な政治的決定が院の周辺でなされるようになる→太政官での公式な会議の意義が相対的に低下する→その出席資格である「現職の公卿」であり続ける意味が低下する→役職が流動化する、という傾向があったとされま須賀、一方でその流れは、朝廷内における各イエの家格が定まってくる時期とも重なっていました。白河上皇の側近で、夜に上皇と密談することで政治を動かした藤原顕隆という人物は、当時から「夜の関白」*1と称されるほどの権勢を誇ったそうで須賀、彼の属した藤原氏勧修寺流は摂関家の家政機関職員の家柄であり、家格と政治的実権との間にギャップが見られます(だから「夜の」関白とされたのでしょう)。

役職は流動化していくけれども、それぞれのイエのランクや「家業」は定まっていく。院政という本題とはややズレるかもしれませんが、その辺のダイナミズムみたいな部分についても興味が湧きました。

まず読むなら美川版

また2冊目については、受領のあり方や受領功過定(勤務評定)、個別の人物で言えば例えば平治の乱で敗死した藤原信頼への評価などが、「歴史講義シリーズ」で紹介されている近年の議論と結構異なっている(かつての通説に近い)印象を受けました。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

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あと、全体を通じて著者の人物評が前面に出ていましたね。「中世的文書主義」や人物の容貌への関心の高まり、具体例に即した議論など、この本ならではの興味深い指摘も多かったで須賀、まず一冊読んで院政の体系的理解を目指すなら、1冊目の方が適していると思います。

 

 

*1:現在千葉ロッテマリーンズで活躍する「夜の三冠王」とは別のニュアンスでこのように呼ばれていたということですね