かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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発覚直前に決行された五・一五事件/『昭和史講義』『昭和史講義2』

【目次】

 

近年の昭和史研究水準をフォロー

巷間の「昭和史本」の玉石混交ぶりに一石を投じるため、近年の研究成果を踏まえ、テーマ毎にこの時代の歴史を解説していく本です。

1冊目は通史的な読み方もできる概説的な内容が多かったで須賀、2冊目は治安維持法の国際比較論、中ソ戦争(張学良の奉天政権がソ連に大敗した戦争)、厚生省の設置、昭和天皇による実質的な阿部信行内閣の陸相指名、ゾルゲ事件ゾルゲとスターリンの関係)など、結構掘り下げた内容が多く、かなり読み応えがありました。タイトルにしたように、五・一五事件における海軍内の中心人物が5月16日に取調べを受ける予定だった、なんて話も始めて知りました。

時代の雰囲気を理解する

各論点でとても勉強になりましたが、その中において通底するものとして感じたのは、それぞれの時代を覆うそれぞれ独特の雰囲気というものがあり、それを理解してこその歴史なのだということでした。

例えば、イメージに反するかもしれませんが、満州事変の少し前、大正デモクラシー花盛りの時代の軍人の社会的地位は非常に低く、そのことが以後の軍人たちの心理に影響を与えていたとの見方があります(同時代人たる西園寺公望も近い認識を持っていたとされます)。また、いわゆる血盟団事件から先述の五・一五事件を起こすに至る当事者たちの心象風景であるとか、さらには彼らが被告となった裁判を通じて、結果的にその主張が社会的な関心・共感を集めるに至った(これがミュンヘン一揆後のヒトラーの状況に似ている点にも注意すべきだと思います)ことなども、決して後世の目で荒唐無稽と断じるだけではいけないのだと思います。

現在の「奇習」を相対化する

我々とて、こうした「思考上の奇習」から自由ではありません。例えば最近の「自粛警察」なる風潮や、芸能人の不祥事などに対するヒステリックなバッシング、広くはネット炎上一般を見るにつけそう感じざるを得ません。10年前にも、精神論的とも受け取れる自粛が叫ばれたりもしました。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

「昭和史の教訓」という言葉は戦争との関係で用いられることが専らで須賀、学ぶべきは本来、それだけではないはずです。時代の雰囲気をなるべく相対化し、自らの「思考上の奇習」を顧みる努力をすることは、未来により多くの選択肢を持つために大事なことなのだと感じさせられました。