公開された「昭和天皇実録」の記述などから見える人間・裕仁のエピソードを紹介する本です。
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こちらでは昭和天皇の政治的なスタンスや振る舞いについて論じられていましたが、この本では生育環境や心情のようなところから、昭和天皇の言動を読み解いていきます。
後宮改革や虎ノ門事件など、色々と興味深い仮説が提示されていま須賀、特に注目すべきは2点あったかとおもいます。
まずは、昭和天皇と母・貞明皇后との確執です。神道への信心が深かった貞明皇后は昭和天皇の態度に不満を持っており、特に裕仁摂政時代、貞明皇后はどうやら自分が天皇になることを意識していたフシがあるのだそうです。
細かく言えば、正統な天皇に誰をカウントするかが固まったのがこの時期だそうで、「女帝」と称されることもあった神功皇后が天皇とみなされるかどうかは、貞明皇后の即位というシナリオが生じるかどうかの言わば「代理戦争」的な意味合いがあったのではないかと著者は論じます。符合するように、神功皇后が天皇と認められないことが確定した日の翌日、貞明皇后は自らの遺書を書いているといいます。
また、貞明皇后を疎開させることで政治から遠ざけるべく、まさに終戦前後の時期に高松宮夫妻と秩父宮夫妻が会合を持っていたようだということも指摘しています。香淳皇后との間に「嫁姑」的な問題もあったといい、この辺の人間模様の生々しさは印象的でした。
もう一つは、戦後に昭和天皇がカトリックに改宗する可能性があったということです。これは当時、あちこちで報道もされていたことなのだそうです(知らなかった)。
政治的な事情で退位が叶わないなら、神道に対する悔悟も込めて個人的に神道を捨て、改宗することでけじめとしよう。独立回復までの時期にカトリック関係者に接近したのには、そのような思いがあってのことではないかと推測しています。これもまた非常に興味深い指摘だと思いま須賀、サンフランシスコ条約以降、急にこの「カトリック熱」が醒めてしまうのは現金というか何というか、個人的にはその辺の経緯を読み解けるとより面白いのかなという気がしました。
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