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「戦後レジーム」形成過程と象徴天皇の政治的振る舞い/『昭和天皇の戦後日本』(豊下楢彦)他1冊

 

日本国憲法の誕生 (岩波現代文庫)

日本国憲法の誕生 (岩波現代文庫)

 
昭和天皇の戦後日本――〈憲法・安保体制〉にいたる道

昭和天皇の戦後日本――〈憲法・安保体制〉にいたる道

 

 日本国憲法の成立過程、そして日米安保体制をも含めた(安倍首相が言うところの)「戦後レジーム」全体の形成に、昭和天皇自身はどのようにコミットしていたのかについて追ってみました。

1冊目*1をもとに憲法制定過程をきわめてざっくりまとめると、日本政府側で検討された松本案が明治憲法の微修正にとどまったため、GHQ案を土台に、それを「日本化する」*2形で条文づくりが進められ、有名な「芦田修正」*3など帝国議会での審議を経て公布・施行されました。

その後には、極東委員会の意向を踏まえたGHQ側から、日本国憲法改正の機会を与えられながら、当時の吉田内閣がその意思を示さなかったという歴史的経緯もありました。

一方の2冊目では、占領(憲法改正東京裁判)と冷戦という二つの危機から天皇制を守るため、昭和天皇自身が新憲法での象徴天皇制の下、いかに政治的に立ち回ったか(!)を『昭和天皇実録』も参照しながら論じています。

昭和天皇は、米軍による日本防衛や沖縄の半永久的使用について、米国に対し自ら求めました。さらに、国連による日本防衛や「極東のスイス論」に傾斜するマッカーサーを(共産主義勢力から天皇制を守るには)生ぬるいと見るや、彼の頭越しにワシントンのダレスらとのチャネルを築き、日米安保においてより日本に有利な条件を追求した吉田茂とは異なるメッセージを送り続けたのです。史料上の制約などから、そうした意図がどれほど成功したのかについては議論の余地はありそうで須賀、象徴天皇がこうした意図を持って行動していたということだけでも驚きに値します。

こうして歴史の経過を追っていくと、ただ「日本国憲法GHQに押し付けられた」と言うことにどのくらい意味があるのか、という感慨を覚えざるを得ませんでした。GHQの強い影響下で起草された政府案であることは間違いありませんが、東京裁判での天皇起訴や天皇制廃止を求める極東委員会構成国の厳しい目線が注がれる中、GHQも円滑な日本統治のために天皇制を保とうとした側面があり、占領側もそのせめぎ合いの中で出してきた憲法案なのでありました*4

このように、今では忘れられがちなさまざまなアクターの力関係の中で形成されてきた憲法であり、政治体制であることを認識すること、もっと言うと、その後にその中でどんな実行が重ねられてきたかを知ることが、「戦後レジーム」とやらを評価する上でも重要なのではないかと思うんですけど、どうなんでしょうね。

 

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*1:「他1冊」扱いですみません、こちらは再読本でした

*2:日本側として呑みやすいものとするよう、佐藤達夫らとGHQの間で、法技術的な部分を含めたせめぎ合いがなされました

*3:少なくとも当初は、芦田もその意味に気がついていなかったとされています

*4:「1条と9条がバーター」などと言われるのはその意味です