かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『古代史講義』『古代史講義 戦乱編』/「排仏派」でなかった物部氏、「薬子の変」とはもう呼ばない?

 

 歴史講義シリーズの古代編2冊をまとめて。

www.chikumashobo.co.jp

邪馬台国の時代から奥州藤原氏まで、テーマごと&戦乱ごとに15編ずつが収められています。ここで全てを紹介することはできませんが、蘇我氏に敗れた物部氏が「排仏派」であったとは考えにくいこと、その蘇我氏乙巳の変で「滅んだ」わけではない*1こと、摂関はあくまで天皇制の補佐であり、思われていたほど自由に権力を行使できたわけではないこと、そして受領の人事もそこまで恣意的にはなし得なかったこと、最近は「薬子の変」という呼称は使われなくなってきている*2ことなど、かつての通説やイメージと異なるものも含め、最新の研究成果が数多く掲載されています。

印象的だったのは、戦乱編を中心とした史料の読み解き方についてです。過去の出来事を書き残すという行為、そして書き残された書物自体が非常に限られていた時代においては、その書き手がどのような意図や認識を持って歴史を編んでいったかが非常に重要な意味を帯びてきます。滅び去った側が歴史を書き残していることは稀ですので、現代の我々がアクセスできるのは、往々にして「勝者の歴史」であるわけです。

ただ、「勝者の歴史」の全てが勝者による創作や誇張であるわけではなく、さらに言えば、彼らが改変行為に及んだ(として)こと自体からも、一定の史実を導き出すことができるはずでもあります。近現代史において「自由主義史観」を名乗る人々が、「勝者の歴史」を指弾しながら陰謀論を展開しているのを稀に見かけま須賀、多くの場合それも、まず方法論として極端だと言わざるを得ません。

canarykanariiya.hatenadiary.jp

編者は前書きで、「地味な史料批判の手続きがふくまれるかもしれないが、歴史学がふまえなくてはならない学問的営為までを紹介しようとしている」と述べています。そこで言うところの「地味な史料批判」ー「勝者の歴史」の中から、どこを信じてどこを割り引いて、その編集の意図をどう捉えるかーこそが、古代史に限らない「歴史学の醍醐味」であり、歴史を読み解いていく上のリテラシーなのだと実感しました。

 

 

 

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*1:その辺の事情は少女漫画としての『日出処の天子』、など… - かぶとむしアル中でも触れましたね

*2:平城上皇の主体性を重視するようになってきている