【目次】
帰蝶の毒殺発言、十兵衛の見た夢、そして再びの打擲と森蘭丸への「反撃」…。ハイテンポに時間を進めながら、信長と十兵衛の関係性が煮詰まっていく様を描いていました。ちょっと見ていて辛かったです。
秀吉もあやかった重鎮・丹羽長秀
今日は、次回が最終回というこのタイミングで突如登場した織田家宿老・丹羽長秀についてです。丹羽長秀と言えば、秀吉が「羽柴」と名乗る際にあやかった武将の一人(もう一人は柴田勝家)であることはよく知られていますね。また、織田家にとって必須の存在というニュアンスで「米五郎左」などとも称された人物です。安土城普請の総奉行も務めており、佐久間信盛や柴田勝家がいるなら、とっくにドラマにも出てきておかしくない重鎮でした。
そんな長秀がこの後に及んで饗応絡みで出てきたのは、明智光秀による安土での徳川家康接待の前日に、長秀も家康らを接待していたからと思われます。
光秀の前日に家康を接待
『信長公記』によると、長秀は現在の滋賀県米原市で、家康と穴山梅雪、そして織田信忠を饗応しています。穴山梅雪と言えば、武田信玄の甥かつ娘婿でありながら織田方につき、武田家滅亡の引き金を引いたなどとも評された人物で、ここからしばらく家康と行動を共にし、本能寺の変を迎えます。
そこから推測できるように、長秀も本能寺の変当時、京からほど近い大坂で四国攻めの準備をしていました。光秀を討つのに有利な場所にいたものの地の利を生かせず、その後は光秀を倒した秀吉ペースで物事が進みます。
自分の病巣を秀吉に送りつけた?
長秀はその3年後、病で世を去ります。信憑性は不明で須賀、自分で腹を切り裂いて病巣を掴み出し、それを秀吉に送りつけた…などという話が伝わっています。「自分を追い越して天下人への道をひた走る秀吉を恨んでいただろう」という前提に基づく逸話なのでしょう。
…それはともかくとしても、史実と伝わる内容(丹羽長秀も家康を接待した)に基づきつつ、フィクション(信長が光秀から長秀に交代させようとした)を描く手法は、本作の妙味の一つですね。最終回も、楽しみにしています。