現場を離れて久しい新聞記者のブログ。 読んだ本の紹介や旅行記(北朝鮮竹島イランなど)が中心です。 

全部「あの狂人」のせい?/『金正恩の精神分析』(張景俊)

金正恩の精神分析: 境界性パーソナリティ障害の背景を読み解く

金正恩の精神分析: 境界性パーソナリティ障害の背景を読み解く

韓国の精神科医である著者が、北朝鮮の指導者である金正恩委員長の精神分析を試みた本です。
著者が認めるように、精神分析は直接面談して行うべきもので須賀、ここでは生育歴に関する証言*1や政権の座に座った後の言動や政策から、間接的に分析しています。そして著者は、その結果として、母親(高英姫)の妊娠中の不安な精神状態や父(金正日)の関与の仕方などが作用し、▽偏執症▽誇示主義▽予測不可能な衝動性▽低い段階の道徳的発達▽エディプスコンプレックス▽祖父(金日成)への同一化▽ペルソナとの不調和▽低い共感性▽境界性パーソナリティ障害…といった特徴を持つに至ったとしています。
著者によるこうした指摘は興味深くはあるので須賀、多分に危うさも孕んだものだと感じました。訳者は、一国の国際政治現象を分析する視点として「その指導者のパーソナリティや行動様式に着目するミクロな視点」「国内環境や構造に着目するメゾ的な視点」「国際環境や構造に着目するマクロな視点」の3つを挙げています。これはいわゆる「分析のレベル論」に依拠するもので、私も何度か言及しているつもりで須賀、確かにその線で考えていくと著者の手法は「ミクロな分析に有用」と言えるでしょう。
しかし、その流れで言うなら「違うレベルのものを分析している」ケースも多々見受けられました。即ち、国家としての北朝鮮の政策判断(アウトプット)が、全て金正恩個人の精神状態に起因している(インプット)かのような議論が目立っており、それは流石に乱暴だと言わざるを得ないと思います。あと、筆者の中朝関係についての認識はやや単純な気がしますね。金正恩が精神的に不安定だから中国にさえ粗暴な振る舞いをする、のでは恐らくなくて、中朝間にも近接するが故の長年の相克があるのであって、筆者が金正恩の精神的不安定さの証拠として挙げる振る舞いの多くは、主にその文脈で理解すべきだと私は理解しています。
それに加えて、幼少時代のエピソードについても、解釈が素人目にも牽強付会な部分があって気になりました。素人が何をと言われるかもしれませんが、同じテキストからどう解釈するかという問題であれば、議論に加わる余地があると思います。それはさておき、精神科医である著者が「精神疾患」というレッテルを貼ることで金正恩を批判をしようとするなら、それはゆゆしき事態ではないでしょうか。実際、韓国内の政治家を同様の手法で批判している箇所もあります。その道の専門家が、気に入らない相手に向かって「あいつは異常だ」と言い放って公論の場から排除しようとするというやり口は到底是認できませんし、それは何より、実際にそうした症状に苦しんでいる人たちへの差別であり冒涜ではないでしょうか。
先日読んだ『金正恩 狂気と孤独の独裁者のすべて』(五味洋治)に言及があり、切り口として興味深いと思い手に取った本でした。ただ、便利そうな道具も間違った使い方をすれば別の問題を生んでしまいます。そこを見分けるのが知性というものなのだと思います。

*1:藤本健二氏のものが重要なウエイトを占めています