かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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素顔の捉えにくい西郷隆盛/『素顔の西郷隆盛』(磯田道史)

素顔の西郷隆盛 (新潮新書)

素顔の西郷隆盛 (新潮新書)

大河ドラマ西郷どん」の時代考証も務める歴史学者が、史実としての西郷隆盛に迫った本です。
郡方書役助としての仕事や一度目の島流しで平等主義を育て、二度目である種のマキャベリズムを身につけ、「日頃の行いが正しければ、いざという時に策略を用いてもよい」と討幕へ奔走する姿を、様々な史料を用いて描いています。幕末維新の激動期における西郷の一挙手一投足が述べられているわけではなく(そもそも新書でそれは無理でしょう)、率直に言って物語としての「歯抜け感」は印象として強かったです。ただその一方、比較的細々とした言動に触れないと読んでいる側が全体像を描けないというのは、(著者がどこかで言っていたように)この人物の捉えどころのなさ故でもあるでしょう。そしてそれが今作大河のような「愛にあふれるリーダー」や『翔ぶが如く』のある種かわいそうなほど陰画的な様など、様々な西郷隆盛像を可能にしているのだと思います。
翔ぶが如く』の話が出てきたので最後にちょっとだけ。著者は司馬遼太郎に関する本も出しているくらいなので、『翔ぶが如く』についてもお詳しいだろうと思うので須賀、であれば二つだけ、見解を聞きたかったことがあります。まずは、小説のレビューでも触れた「西郷は明治初年に狩りの途中で頭を打って影響が残った」説です。これは、4年以上も新聞連載を続ける意義に関わってくるくらい身も蓋もない話なので、むしろ司馬遼太郎に説明を求めたいくらいで須賀…。あともう一つは、著者が「その形跡はない」と言い切った「征韓論」前の朝鮮偵察についてです。著者的には、事前の情報収集が巧みな西郷が征韓論前にそれを行わなかったのは戦争の意思はなかった証拠だ、ということのようなので須賀、司馬の小説には別府晋介*1らが西郷に派遣されて朝鮮を偵察したと出てきます*2。ここはいわゆる征韓論の意味付けに関わる重要な状況証拠でもある(と著者自身が主張している)ので、何らかの形で齟齬が解消されることを望みます。

*1:「晋どん、もうここらでよか」の晋どんです、念のため

*2:現時点でのwikipediaにも同様の記述がありますね。別府晋介 - Wikipedia 池上四郎 (薩摩藩士) - Wikipedia