【目次】
- 作者:新城 道彦
- 発売日: 2015/03/24
- メディア: 新書
制度としての朝鮮王公族
一つには制度の問題があります。そもそも「大公」なのか「王」なのか「李王」なのか、日本の皇族や華族との序列をどうするのか、亡くなった時にどのような葬儀を行うのか…。少なくとも日本側としては合意による併合という建前もあり、実際に朝鮮を植民地として経営していく必要上、帝国としての日本の統治論理に反しない範囲で朝鮮側の要望にも応えていかねばなりませんでした。
その一方で、王公族には皇族に次ぐような社会的地位と、むしろ彼らよりも潤沢な経済的裏付けが与えられたため、併合時の皇太子だった李垠王と梨本宮家方子の結婚など、日本と朝鮮を跨ぐ縁組には(両者の融和というより)そうした事情が作用していたようです。そもそも王公族に関する法制度も、ペンディングされていたものがこうした縁談の浮上によって整備されていったという経緯もあり、その辺の経過を追うのも興味深かったです。
人間としての朝鮮王公族―赤坂プリンスと開成高校
もう一つは、「朝鮮王公族」とされた人々の生き方でしょうか。ハーグ密使事件などで日本の進出に抵抗を示してきた高宗は「李太王」として遇され、李王家の安泰のために先述の結婚*2にも賛成したと伝わります。一方で李垠は、第二次世界大戦の終戦前まで日本陸軍中将として尽力するなど、帝国日本の中の王公族としての立場を自明とし、それを果たしていこうとしているように見えます。この親子の間にあるニュアンスの違いを、著者は「第一世代」「第二世代」の差として類型化しているわけで須賀、終戦後の李垠の足元が定まらないような動向を踏まえると、彼が「帝国日本の中の王公族としての立場」を喪失した困惑を抱き続けていたことは間違いなさそうです。
それにしても、その息子の李玖は東京・紀尾井町の李王邸で生まれて、後にその跡地に建った赤坂プリンスで宿泊中に亡くなっているんですね。赤坂プリンスももうありませんが、驚くべき偶然ではあります。
あと、これは完全な余談なので須賀、そのいとこに当たる李鍵公は昭和天皇への敬愛も強く、終戦後は明治天皇にゆかりのある「桃山」姓を名乗って日本で暮らし続けた―という、極めて「第二世代」的な人物だったそうです。戦後に再婚した妻との子供には、自らの出自すら告げなかったとか。で、その息子は父の葬儀で自分が朝鮮王朝に連なる血筋の人間であることを知ったそうなんで須賀、その方というのが開成高校の教頭先生なんですね。李玖が亡くなった時に話題になったようで須賀、これもすごい話です。制度的なあり方の問題も興味深かったで須賀、こういう人間ドラマや巡り合わせというものの凄みを感じさせられる一冊でした。