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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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原敬と「大衆の大正」/『原敬』(清水唯一朗)、『真実の原敬』(伊藤之雄)、『大正史講義』

【目次】

 

「賊軍」から山県も認める首相へ

どちらも「初の平民宰相」などとして名高い原敬の評伝です。

「賊軍」となった盛岡藩に生まれ、新聞記者、外務省などでの(高級)官僚などのキャリアを経て政友会に身を投じた原。その政友会内でも最初から人望があったわけではもちろんなく、いわゆる「党人派」との関係や世論の批判になんとか対処しながら総裁・総理候補として名声を高め、ついには政党嫌いの山県有朋に組閣を認めさせるにまで至ります。首相としても鉄道網整備などによる産業振興や教育振興など、長期的視野に立った政策を進めながら(前後と比べて)安定した政権運営を進めていましたが、よく知られているように東京駅で凶刃に斃れたーというのがあらすじになっています。

1冊目は今年話題になった本で、人間・原敬がいろんな人や事件に揉まれて徐々に成長していくさまが生き生きと描かれていました。2冊目は、同時代の政治家の評伝を多くまとめている著者によるもので、(憲政会の加藤高明とともに)元老・西園寺公望の信任も厚く、暗殺がなければ若き昭和天皇を支える元老的な立場に立っただろうことが示唆されています。

多元的体制の基底にあった「大衆」の登場

原敬と並び称された加藤高明が病没したのが、大正最後の年でした。大正の15年間を中心に様々な角度から時代を読み解くのがこちらの本です。

国内政局や対中・対英米などの対外関係、国内の思潮や運動などテーマは多様で須賀、やはりこの時代で特筆すべきは冒頭にも出てくる「大衆の登場」だと感じました。

その端緒はポーツマス条約反対の日比谷焼き討ち事件であり、いわゆる大正政変がそれに続くので須賀、そもそも多元的な明治憲法体制(政党・官僚・軍・枢密院・元老…)の土台の部分にある大衆が可視的な力(時には暴力)とともに意思表示を強め、その「上」に割拠する政治的エリートたちもそれを無視できなくなっていきました。先述した山県が原の組閣を認めたのも、政友会と憲政会が組んで再び護憲運動を起こすことを恐れたためとされますし、首相となった原が「普選尚早論」のスタンスを取ったのも、大衆への向き合い方ともちろん関係があるわけです。

こうした大衆運動や暴動は、この後に最後の元老となった西園寺が新首相を天皇に推薦するありようと非常に対照的です。逆に言えば、元老という明確な根拠を持たない制度によって、ある種掴みどころのない大衆の受け止めまでを想定しつつ、一人でこの役割を担わなければならないことへの重圧は相当なものであったでしょう。「人を知らないから推薦できない」と西園寺が消極的になっていくのも、心情的にはわかる気がしてきました。