- 作者: 篠田謙一
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2015/09/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (2件) を見る
現生人類は、約20万年前にアフリカにいたある女性のミトコンドリアの遺伝子を引き継いでいる*1とか、そのうちアフリカを出た(「出アフリカ」)系統は40のうちわずか2とされ、その中で南アジアで人口を増やした人たちの一部が東進していった―というようなことは大体言えるそうで、その過程の中で絶滅したネアンデルタール人との遺伝的交流があったことすら分かっています。更に言うと、約1万年前に東アジアとヨーロッパの間で交流があったようだということも見えてきていて、漢王朝を苦しめた匈奴がゲルマン民族を玉突きしたフン族になったらしいという話だけでも驚いていたのに、それが事実であればその数千年前からそうした行き来はあったことになるわけで、そのスケールの大きさには驚かされます。
本筋に戻すと、基本的には出アフリカを果たした狩猟採集民の初期移動に、農耕民の移動というインパクトが加わったのが現況であるというケースが多いそうで、南北からの初期移動+弥生期の農耕民流入という日本列島でのパターンもその範疇にあると言えるようです。ただし、一時言われたような「元々いた均質な『縄文人』に『弥生人』が流入したのが日本人で、中央部の日本人はより『弥生的』で、南北の端には『縄文的』な人たちが残っている」という図式の単純さに対しては、著者は非常に注意深く再考を求めていて、琉球やアイヌの人々それぞれに残る多様な遺伝的「痕跡」についても、詳細に議論を展開しています。
…と、ここに紹介した話は、この本に盛り込まれている知見のほんの一部でしかありませんし、まだまだ現在進行形というより緒についたばかりの領域でもありますので、分子生物学が人類の来歴について解き明かすだろう事柄のほんのほんの一部でしかないのでしょう。しかし、そんな今でも一つ言えるのは、現時点ですらここまで多様性に富み、また言ってしまえば雑多で幅広い遺伝的交流を重ねてきたのが私達の祖先であり、彼らが(大部分)残してくれた私達の遺伝子であることに鑑みれば、「人種」などというカテゴリーをどこかから持ってきてその優劣を言い立てるとか、その「純血性」を褒め称え、果てには「汚染」の危機にあるなどと喧伝する行為がいかに倒錯的で無意味であるかを痛感させられます。
特定の民族が共有しているのはその文化であって、遺伝子ではないことを認識していないと、おかしな結論にいたることになります。