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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『父と息子の大闘病日記』(神足裕司、神足祐太郎)への辛口レビュー

父と息子の大闘病日記

父と息子の大闘病日記

「子育てと介護って、似てるところがあると思うんですよね」
少なくとも今より子供と関わるのが辛いと思っていた時期に、そう言って薦めてもらったこの本。実はその時は、今考えれば著者らにかなり失礼な理由から「似てるところもあるかもしれないけど、本質的にはかなり違うものなんじゃないのか」という思いが脳裏をよぎったのをよく憶えています。
この本は、コラムニスト・神足裕司くも膜下出血で倒れてから意識を取り戻し、周囲の支えの中で自宅へ戻るまでのことを書いた彼の長男の雑誌連載と、それに対して噛み合っていないようで絶妙に噛み合っている*1父の応答を収録しています。確かにおむつのくだりや、複数人がかりで手早くお風呂に入れる話などは似ていると感じました。ただ、その時思ったのは、動作としては似通った育児/介護の先にどんな展望があるのか、そこに大きな落差があるのではないか―ということなのです。
詳しく説明するまでもないかもしれませんが、育児ではいつかおむつが取れ、2人がかりで風呂に入れる必要もなくなり、また私の長男がそうであるように、一人で立ち、歩き、自分の意思を明確に表し、そこに日本語が加わってくる。かえってそっちの方が厄介な時期もあるで生姜、ゆくゆくは彼は手がかからなくなっていき、恐らく私よりも立派な大人になるでしょう。翻って介護はどうなのか。経済的負担や病の再発、あるいは加齢による状況の悪化といったリスクと向き合う日々なのではないか。乱暴に言ってしまえば「長い目で見れば、今日より明日は良くなる」という展望を、本人や周囲がどのくらいもつことができるのか―。当時のそんなモヤモヤを胸に、ページをめくり始めたというのが正直なところだったりします。
しかし、この本の奥底を貫いていたのは、そうした予想とは違ったものでした。そりゃあ経済的な苦しさは書かれている以上のものがあったでしょうし、父のその後の人生を左右しかねない判断を矢継ぎ早に繰り返さねばならないプレッシャーや、「これで本当によかったのか」「この先大丈夫なのか」という不安も同様だったでしょう。でも、それでも彼らは前を向いていました。入院時とは比較にならない苦労をするだろう自宅介護の道を、「嫌じゃない」と選んだ母。そして何より、「いつか父ともう一杯」という思い。彼の言うとおり、最初は夢物語でしかなかったのかもしれないけど、そう夢想する彼であればこそ*2それが実現し、極端に言えば父もそこまで回復できたのかもしれないとすら思えてきます。
一言で言うと、悲観しすぎないこと。その大切さを、全く説教臭くない形で*3教えてもらいました。
あと、その都度文章に書き残していくことは大事なんだなあとも感じました。雑誌連載が始まったのは自宅に戻る前なので、少しタイムラグがあるとはいえ現在進行形で書き進められています。むしろ多分そうでないと、共感を得られるものにはならなかったでしょう。その時々の現状や心情の機微を、ある意味凍結保存して差し出しているからこそ現実味もあるし、何より書いている本人が、そこでまた「日常を反芻」できる。人が反芻している当のモノをしげしげ眺めるというとちょっとビックリするかもしれませんけど、「コラムニスト・神足裕司」についてよく知らなくても、気負わずに読めば、介護すべき人を抱えた時に具体的にどんな問題が出てきて何が必要*4という以上に、多分もうちょっと大事なことに気付かせてくれる本なのではないかと思いますけれどもどうでしょうかね。

*1:笑っていいのかどうかちょっと悩む部分ではあるが、そこが面白い

*2:単に酒が飲みたかっただけではないと信じる

*3:多分ここが大事で、説教臭くなく「自然と」それを表現できるということは、やっている本人たちの立ち居振る舞いにそれが身についているということです

*4:そうしたことはどうでもいいと言うつもりはありませんし、そうしたことを知る上で助けにならないと言うつもりでもありません。彼の言葉を借りれば「考えたこともなかった」世界を突然切り盛りしていかねばならない悪戦苦闘ぶりは、未だその世界に足を踏み入れたことのない私にとっては勉強になりましたし、その意味においては、少し育児と通じるところがあるのかもしれないとも感じました