かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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岐路をどう歩くか/『ルポ 貧困大国アメリカ』〜『(株)貧困大国アメリカ』(堤未果)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

ルポ 貧困大国アメリカ II (岩波新書)

低所得者支援、(学資ローンを含む)教育、医療、農業から治安維持、刑務所、果ては戦争まで、行きすぎた自由化・民営化による資本の原理の貫徹or暴走が、アメリカ社会に何をもたらしているかをじっくり追ったルポです。一連の作品は読む者にとっていくつもの驚くべき内容を含んでいること請け合いで、アメリカという「病める巨人」の病理を、あるいは一定の留保*1を付けながらも、その病理にまつわる「陰謀」ではなく「陰謀」を、描き出していると評価してもよいのではないでしょうか。評判通り、そのくらい読み応えのある本でした。
こうした「市場原理にゆだねるべきとは考えられない分野」までも資本の論理が食い破っていった結果、人々が次々に債務の奴隷になっていくさまを突き付けられるにつけ、(確か)「人間は目的そのものとして扱われるべきで、何かの手段として用いてはならない」というカントの言葉を思い出します*2。その一方で、ちょっと引いて見てみると、著者がこの本で問題提起した現状や「市場原理にゆだねるべきとは考えられない分野」という観念すら、ウェーバーあたりが言うところの合理化や脱魔術化の過程でしかありませんでした、なんて未来も想像することはできるわけで、もしかしたら、著者をはじめとして「いくらなんでもこれはちょっと行き過ぎではないのか」と考える人たちは後世において、例えば熱湯で手がただれるかどうかで裁判を行う盟神探湯を信じる人のように、非合理的で魔術的であると見做されるかもしれません*3
その意味では折も折、今の日本もその岐路にあると言うことができるでしょう。「世界で一番企業が活躍しやすい国を目指します」*4と言い切る首相が企業偏重の「経済対策」を連発し、(ここではその是非はともかく)TPP参加のための交渉を進めています。これには多くの規制緩和が伴うでしょう。そして折しも、今審議されている特定秘密保護法案の人権侵害ぶりも、911後の熱狂の下のアメリカを思わせます。
もちろん、日本では企業活動ができないと思わせるほどの重い法人税をかけたり、がんじがらめの規制を維持強化すべきだとは思いませんし、とにかく自由貿易協定の枠組みには参加すべきではない!と叫ぶつもりもありません。しかし、この本に描かれた社会が20XX年の日本の姿となる可能性もあって、その岐路に今のわたしたちが立っている、とは言ってもよいのではないかと思いますし、それは恐らく「あれかこれか」の二者択一ではなくやりようの問題―「どちらの道を歩くか」よりも「どう歩くか」―である気がします。冷戦終結で片方の陣営が崩れ去り、別陣営の理論的唱導者たる「巨人」の内部もここまで蝕まれてしまっていることも、それを示唆しているように思います。
2・3冊目の最後の部分で著者は、政治家や多国籍企業の上層部などの豊かな「1%」に対して善悪の白黒をつけるのではなく、彼らを(しばしば道義というよりは利で以て)動かしていく潮流に触れています。現下の日本の政治情勢に照らしても、それこそ日本に住む人々が教訓にし得ることだと感じています。

*1:私は彼女が言うほど「アメリカのテレビメディアが買われている」ことが、直接的な世論操作につながるとは考えていません

*2:特に米軍による若者のリクルートのくだりだったでしょうか

*3:この問題については「かもしれません」という表現にとどめておくのが穏当かもしれませんが、後世の人々はほぼ間違いなく何らかの理由で、私たちをそう見做すでしょう。まあそれがパラダイムシフトというものなんだと思いま須賀

*4:通読後にこのセリフを聞くと冗談でなく戦慄が走ります