かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『儒教とは何か』(加地伸行)

儒教とは何か (中公新書)

儒教とは何か (中公新書)

中国思想史の観点から儒教の歴史を概説した本です。祖先の霊が降りてくるというようなシャーマニズム孔子が理論的に基礎付け、その社会規範的な部分(礼教性)は徐々に国家統合の論理として体系化されていく一方、宗教性は各家族単位に沈殿しながらも連綿と引き継がれていった―。大まかには、こうした見取り図で解説しています。
祖先にまつわるシャーマニズムから言わば演繹的に体系を構築していったのが孔子であり、また、漢代の中央集権体制に食い込まんと、言ってしまえば解釈面のこじつけや「原典」の捏造を通じてある種帰納的に理論化されていった歴史もあるという対照は興味深かったです。さらに、儒教の中央集権体制への「適合」―儒教的に言えば、「孝」の「忠」への接続―という苦し紛れの理屈がまかり通った背景を王朝の家産性に求めている点も、現代の北朝鮮の体制について示唆する点も大きく、個人的には面白かったです。
ただ一方で、「中国人はそもそも現実的・即物的な発想を持っている」というような、中国人や「東北アジア人」に対する本質主義的な理解が非常に目に付き、読みながらげんなりしてしまったのも事実です。もちろん、筆者は「東北アジア人」の範疇に日本人も含めて議論していますし、また先述したような性質を善悪でもって捉えようとはしていない点で、それらは最近はびこっている「特亜の連中はどうしようもない」といった類いの人種差別的偏見とは内容的に異なっているので須賀、「○○人はこんな奴ら」というレッテル貼りは、そうした悪意的な差別と発想法的にはそう変わらないと言わざるを得ません。まあ、この本がそういう「国民性論」に片足を突っ込んでしまっている背景には、「東北アジア」諸国の経済的成功と儒教を結びつける出版当時の議論があるらしいことは後書きで明らかになってくるんですけどねww
何にせよ、著者が指摘するように日本では儒教と仏教の混淆が進んでいるだけに、今私が感覚的に「儒教的」とみなしているようなものは儒教全体から見ると何であるのか、知らないことばかりだったのが最も印象的でした。欲を言えば、華夷秩序とかについても読みたかったですけど。