かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ゆくゆくは3Dプリンタで瞬間移動するというSF的(?)妄想について

最近騒がれている3Dプリンタについて、妄想を一つ。
3Dプリンタというのは読んで字の如く、三次元の、つまり立体物を印刷できる機械のことだそうです。
印刷物の素材は樹脂なんかが使われているそうで、なのでもともと同種の樹脂でできたものをコピーする場合は、物質の組成的にも同じものがもう一つ複製されることになりま須賀、例えばリンゴや金属の時計、生物としての私を読み込んでも、同じ形のものが出来ますというだけで、当たり前で須賀、一つだったリンゴが二つになるわけでも、私の分身が生まれ落ちるわけでもありません。
何を不必要な能書きを垂れているんだと言われるかもしれませんが、ここからが妄想の中身です。それなら、複写される物体を構成する物質を予めプリンタに備えておけば、物質的に同じものが出来上がり得ますよね。9.5カラットのダイヤモンドを備えておけば、1カラットのそれを(少なくとも切り刻むことによって)複製することは出来そうですし、原理的には、ダイヤモンドを構成する炭素を必要分用意しておけば、何らかの方法でコピーできるようになる、かもしれません。そしてこの理屈は、理論上もっと小さな単位にバラすことも可能なはずです。電子と陽子と中性子…までは、私も化学の授業で習いました(笑)
てなわけで、素材をどんなレベルで準備しておくかは別としても、複写されるものと物質の組成的にも全く同じものをコピーする…なんてことができる日が、いつか来るかもしれません。さて、ここで一つ疑問が湧いてきます。もしそんな世の中になったら、私たちは物をある場所からある場所へ、物理的に移動させる必要がどのくらいあるでしょうか? わざわざ地球の裏側から持ってこなくても、コピーしちゃえば同じこと、とはなりませんか? そして次の「受信」に備えて、「送信元」の複写された物体はバラしておこうとなれば、これはある物体が「移動した」ことと、どう区別すべきでしょうか。ある種の「瞬間移動」、「テレポーテーション」と評価することはできないでしょうか。もちろん原子そのものがゲロもろとも移動したわけではありませんが、この「移動」は既に現在活用されているEメールやFAXなどからも連想可能のように思えます。
もっと進んで、生物について同じことが技術的に出来るようになったとして、それをその生物の「瞬間移動」とみなせるか、という問いもあり得ます。非生物の時より感覚的な違和感は大きいで須賀、これを書いている私も読んでいるあなたも絶えず新陳代謝を繰り返し、常に構成する原子は変化していることから分かるように、生物の自己同一性を担保しているのは少なくとも物質としての同一性ではなさそうです。そうであるなら、技術的問題がクリアされれば、ダルシムのようにヨガを極めなくても「瞬間移動」したと見なされる余地はないとは言えません。
愛のこもったラブレターだとどうでしょう。全く同種の元素から構成された*1ラブレターが3Dプリンタによって印刷されたとして、それは書かれたラブレターそのものだと感じるでしょうか? 「いやあ、それはちょっと…」と書いている私ですら思いま須賀、もしそんなことが実現してしまった時代にマックス・ウェーバーがいたら、2013年にこんなことを書き残した私を「脱魔術化以前の発想の持ち主」と評するのでしょうか―。
三流SFみたいな話になってしまいましたが、最近3Dプリンタの話を見聞きするたび、そんな妄想に耽っています。

*1:結果として内容はおろか、筆跡も同じで、もし書きながら滴った涙でインクが滲んだとしても、その滲んだ模様からこぼれた涙の組成まで同じ