- 作者: 長崎新聞社「累犯障害者問題取材班」
- 出版社/メーカー: 長崎新聞社
- 発売日: 2012/11
- メディア: 単行本
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言わば「司法」と「福祉」の狭間に追いやられた彼らを、刑務所出所後に福祉につなげることから、必要に応じて刑務所に入る前に司法に働き掛け、刑事施設ではなく福祉施設での社会化を促していくことまでを手がけるようになったこと。昨今の検察改革と相まって進展は急ピッチで、奇しくも元々障害者福祉に携わってきた村木厚子氏が、結果的にその検察改革全体の歯車を回す形になったこと。一方で、未だ新しい取り組みであるがゆえに、福祉施設での引き取りを前提とした判決が出たとしても、それを実質的に担保する仕組みが未整備という問題があり、また翻っては「福祉施設が刑務所化する」―彼らが福祉施設に押し込められ、将来にわたって自由を失ってしまう―懸念も示されつつあるという、一見相反する課題を抱えてもいること。そうした現況が分かりやすく、また具体的にイメージしやすくまとめられています。そして、ここに描き出された試みは包摂し伴走することであって、決して区分と排除ではないということは、この問題を超えた示唆を社会全体に与えているようにも思えます。
全くもっていい言葉ではありませんが、マスコミ(・警察)がしばしば用いる隠語として、「マル精」があります。これはまさに、こうした知的・精神障害がある人たちを指し得る言葉で、「被疑者はマル精らしい」と疑われる/みなされた場合、その事件のニュース価値は一般的には下がります。それは、犯行が疑われる事実が病気や障害に起因する可能性が考えられることや、今後の司法過程における心神耗弱・喪失の問題などと絡めて説明されるものだと認識していま須賀、自戒を込めて言えば、それは「司法」と「福祉」の裂け目を覗き込むことを免れるための免罪符でもあったような気がしてなりません。そこをしっかり見据えて、じっくり追った新聞連載がこの本のもとになっています。扱うテーマのハレーションの大きさと言え、取材すべき相手を見つけ、それを重ねていくこと自体の困難さと言え、生半可な覚悟と準備ではできないはずです。その点、脱帽です。
この本は、細君の本棚から拝借してまいりました。