かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『戦後日本外交史』(五百旗頭真編)・『戦後史の正体』(孫崎享)

戦後日本外交史 第3版 (有斐閣アルマ)

戦後日本外交史 第3版 (有斐閣アルマ)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

戦後史の正体 (「戦後再発見」双書1)

二冊の本で戦後外交史の勉強をさせていただきました。両者の比較において言うならば、前者は総体を意識して教科書的に、後者は米国に対する従属―自主を対立軸に問題提起的に論じています。その手法的な違いは、例えばGHQとの折衝に限られた占領期について、かたや「戦後日本を規定する濃密な交渉が展開された」と分析し、もう一方は「この時期のGHQ(即ち米国)一辺倒の交渉のあり方が外交を失わせた」と嘆く、その言わば観察者的立場と当事者的立場の対照にシンボリックに表れています。ですのでこの二冊は、前者をより「抑制的」な*1、後者をより「刺激的」な通史として読み比べれば、得るものも大きいですし楽しくもあると思います。
そんな調子ですので、吉田茂評や憲法改正過程における幣原・マッカーサー会談の意義*2など、見解や立場の相違は随所に出てきます。しかしその中で最も特徴的と言うべきは、『戦後史の正体』が日本政治の転換点を説明する際、しばしば米国CIAなどの陰謀説を採用し、あるいは強く示唆している点です。安保闘争を煽って岸信介内閣を退陣させたとか、いわゆるニクソン・ショックはいずれもニクソン大統領による佐藤栄作首相への報復であるとか主張するのみならず、果てには石橋湛山首相が医師の診断を受けてすぐに退陣したことにまで、何か言いたげです。一方では、私のような人間が陰謀論批判を展開することも織り込み済みのようで、「『陰謀論だ』と批判するだけでは無意味。陰謀のある現実を直視すべきだ」と述べています。
これは確かにその通りで、張作霖爆殺事件や柳条湖事件を知りませんというわけにはいかないのは当たり前だと思いま須賀、少し立ち止まって考えてみれば、陰謀的な思惑や働き掛けがあることと、それがその力によって実現することはイコールではありません。例えば複数人で囲んでジェンガをしていて、ある人(Aさんとしましょう)の一手で塔が倒れた場合、もちろん「Aが倒した」ということでゲームとしてはAさんの負けになるで生姜、Aさんのみの行為によってその塔が倒れたのではありません。同様に、米国の陰謀がどのくらい「効いた」のか、日本国憲法政教分離に関する目的効果理論ではありませんが、その点は大いに検討の余地があると思います。ですから、著者に倣って「占領期以降、日本社会のなかに『自主派』の首相を引きずりおろし、『対米追随派』にすげかえるためのシステムが埋めこまれている」と言うにしても、それがどれほど強いシステムなのかが問題になると思いますし、さまざまな思惑のさまざまなアクターがいる中で「米国は、好ましくないと思う日本の首相を、いくつかのシステムを駆使して排除することができます」とまで言いきるのが果たしていいのかどうか、私は疑問です。
なんか言及が一方に偏ってしまいましたが、最後に一言、前者について。冒頭の日本の外交伝統についての話は非常に含蓄があり、二冊を読みながら何度か参照させていただきました。若干手前味噌にはなりま須賀、戦前日本の「大陸国家」化を最もよく表現したのが山県有朋の「主権線」「利益線」の理屈であり、その破滅的な結果の後に「軽武装・経済重視」の吉田路線があった―大局的には、そう考えることができるんだと思います。

*1:特に21世紀に入っての叙述の平板さは、学問的立場から指摘すべきことすらあえて避けているというか、評価を与えることを避けすぎることによるある種の拙さを皮肉にも露見させているような気さえしました

*2:後者は会談自体に触れていない!