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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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『朝鮮史』(武田幸男編)

朝鮮史 (新版 世界各国史)

朝鮮史 (新版 世界各国史)

山川出版社による朝鮮半島の通史本です。こういう教科書的な本で、歴史としての朝鮮史について論ずるべきか、本としての「朝鮮史」について論ずるべきかは迷うところで、前回の国際法といい「両方しない」というのが常になりつつあるような気がしま須賀、せっかくなので興味を持った部分について、前者的に書き残しておこうと思います。
日本史とのリンクで朝鮮史を見ることが多く、北朝鮮による「檀君の遺骨発見」などの考古学的発見を、むしろ北朝鮮現代史の観点から見たら面白いんじゃないか*1と思いついたり、元の外戚としての高麗の地位なんて話に感心したり、朝鮮時代*2の党争の激しさに辟易したり、閔妃殺害や第二次日韓協約など、いくらなんでもそのやり口は悪辣でしょうと呆れたりと、朝鮮史として通読することで得たものは多かったように思います。その上で、今後、何らかの形で考えていきたいと思うことを、偶然にも(?)韓国現代史から2点簡単に挙げようと思います。
まずは、経済発展がある程度進んだ時点での韓国における労働運動のスタンスや地位です。日本でも、冷戦という国際政治の構造の中で、そうした運動や主張に制約が加えられた*3ことはもちろんそうなので須賀、まさに国の存亡をかけて社会主義を標榜する政権と向かい合っている韓国において、「労働者の政府をつくるべきだ!」「金日成主席万歳!」ではなく、「給料をもうちょっと上げろ」だとか「いくらなんでもこれは重労働過ぎるでしょ」といった主張をする際、どのような身の処し方がなされてきたのかという点に関心を持ちました。例の国家保安法というのもある中で、どう北との差異を打ち出し、むしろ認めさせてきたか。その辺の「苦労話」は面白いと思うんですよね。
もう一つは、現代韓国政治と「法の不遡及」との関係です。列挙するなら、(1)李承晩政権が倒れた後、国会が遡及処罰を禁止する憲法条文を改正して、前政権の不正選挙*4や不正蓄財などを裁く特別検察部と裁判所を置いた、だとか、(2)全斗煥らの逮捕後に特別法を制定し、大統領在任中の時効を停止することによって初めて、(特別法がなければ時効が成立していた)光州事件の責任を問う、というような、明らかに法の不遡及の原理と衝突するようなことがなされています。また、いわゆる「親日派」などに関する盧武鉉政権下の過去史真相糾明法についても、同様の批判がされることもあるようです。
これに関しては最近の日本だって笑っていられない、というのが私の見解でもありま須賀、もともと「しちゃダメだよ」と言われていなかったことが、後からいきなり「やっぱりそれをしたら死刑にするもんね」となってしまう状況が市民社会として健全なのか、と考えると、やはりよい傾向であるとは到底思えません。ただ、ここで考えてみたいのは、それが現実になされた韓国社会における法意識的な部分であって、遡及法に関する緩やかな考え方が社会的に存在するのか、あるいは権力者がとりあえずそれを濫用してみました、という話なのか、その辺について調べるなりできれば面白いと思ったということです。
ただまあ、もしそれが何らかの傾向として跡づけられたとしても、それを例えば日韓間の外交的紛争の要因の一つを矮小化して把握する方便にはしてほしくないですけれども。

*1:=そのような「発見」をアピールする北朝鮮の政治的な意図をこそ探るべきではないか

*2:昔は「李朝」と言った時代です

*3:特に占領下

*4:これもかなり過激です