かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
ブログランキング・にほんブログ村へ

私がどうしても安倍晋三さんを好きになれない理由/第46回衆議院議員総選挙に向けて

さあ、総選挙ですね。維新の会など「第三極」に耳目が集まりがちで須賀、自民党民主党がコインの裏表で勝ち負けを繰り返してきた昨今の国政選挙とはちょっと違い、総選挙後の勢力分布がやや予想しづらい時こそ、比較第一党になる公算の大きい党の政策に注目したいと思います。
なぜか。それは、日本の政治を見る上で、「過半数」はもちろんのことながら「3分の2以上」というのも(言うまでもなく)大きな意味を持っているからで、例えば、ごくごく丸めて言えば、衆院の「3分の2以上」で参院の否決を覆せますし、両院の「3分の2以上」で憲法改正を発議することができます。「1と2分の1政党制」とも揶揄された55年体制下では、『2分の1』側の社会党自民党衆院の「3分の2以上」の議席を押さえるのを阻止していたわけで須賀、衆院の3分の1*1程度の大きな第二党が存在しない議会構成となると、案件によっては与党が複数の少数野党を巻きこんで、この「3分の2以上」を確保するケースも出てくることが想像されます。今回で言えば、民主党の負け振り次第では、そのような事態も十分に起こりうる。
でも私個人としては、望ましい政治のあり方という意味では、むしろその方がよいとすら思っています。今流行りの「決められない政治」という言葉には、乱暴に言えば「スッキリ決めてくれれば中身は何でもいい」的な危うげな含意も感じま須賀、ゼロサム的で硬直化した二大政党制よりも、政策テーマごとに合意形成をしていく多党制的な政治の方が、より原義的に民主主義的だと思います。その際に決定的に重要なこととして、多様な民意を反映するに適した選挙制度が前提だ、という留保はありますけれども。
ここで話が安倍総裁に戻ってきます。そんなわけで、今回の自民党が掲げるリーダーと政策、そこが非常に重要になってくるわけで須賀、その安倍総裁について個別具体的な政策云々以上に、どうしても好きになれない、この人を(再び)首相にすべきではない、そう思うのは、統治機構のトップが持つべき権力観を持っていないように見えるからです。自民党の中には、公私共々お世話になっている方も多くいて、みんながみんなそうではないということは承知しているので須賀、そのトップのことでありますので、言わざるを得ないと思います。

美しい国へ (文春新書)

美しい国へ (文春新書)

首相就任前で須賀、こんな本がありました。今読んでみてまず改めて感じたのは、「日本民族とその郷土」に対するお花畑的なロマンチシズムを国家という統治機構にいつの間にか混ぜ込んでしまっていることへの強烈な違和感です。「にくしくつううつくしいくに」なんてのもそうで須賀、国民に対して暴力装置を一方的に有する統治機構の権力行使をどうやって制約しようか?という権力を持たんとする人間としての反省*2が感じられない。本の中で出てくる「国民は応分の義務として公共に奉仕しろ」なんてのもその範疇でしょう。
この選挙戦での論戦でも、本当に「建設国債を直接引き受けろ」と言ったかどうかは別にしても、日銀の「通貨の番人」としての独立性についてどう考えているのか、聞いていてやや不安になります。教育委員会についてもそう。指揮系統がはっきりしっかりし、強力な権力行使が可能になることは、確かに「決められる政治」を導くでしょう。しかし、権力の恐ろしさを認識し、分有して互いに牽制し合いながら、適正な行使を目指そうという方向にはどうもなっていない。そこが自民党の掲げた公約のどの項目*3より引っかかるのです。
何にせよ、私が今最も政治に求めたいことは、(1)「ねじれ国会」に象徴される「決められない政治」の中で、過度に結論だけを求めるのを戒めながらも適度に折り合っていく政治文化を醸成することと、(2)パワーバランスの変化が現在進行形で起こっている東アジアで、出来得る限り平和的にその時期を凌ぎ、戦争を避けることの二つです。さっき冗談っぽく「国防軍」のことを書きましたが、それが二つ目に資するかどうかは明らかな気がしますし、勇ましい言葉を伴った不要不急の神学論争―みたいになっていってはほしくないものです。

*1:現在の定数で言えば160議席

*2:いや、別に先の戦争での植民地支配や侵略があったから反省しろ、と言っているのではなくて、もちろんそういう過去も踏まえてではありま須賀、一般的にそうした権力を持たんとする人間は充分に自重しろということです

*3:国防軍」とかw