今回はあえて三好長慶の話をします。
三好長慶と言えば、信長の野望を最初にやると畿内をほぼ制圧していて(後世の知名度の割に)印象深い戦国大名で須賀、ドラマでもあったように、連歌に通じた人物であったそうです。彼の片腕とも言うべき実弟の義賢が戦死したとの知らせを聞いた時も、長慶は連歌会の最中で、顔色を変えずに次の一句を詠んで座を唸らせたと言います。
この後まもなく、畿内は長慶に代わり織田信長の支配下に入ります。(例えば武田信玄が信濃で繰り返したように)狭い地域の主たちを虱潰しに従えていくより、(信長が武田勝頼に対してそうしたように)広域を治めた大大名を倒した方が一度に大きな版図を手にすることができるとされます。その説によれば、三好長慶は「天下餅」をついたと称された信長の、その下ごしらえをしたと言えるのかもしれませんね。