年度も改まりましたので、最近サボっていた長男の近況報告をさせてください。まずは正月明けにしていたこんな話から。
長男「犬は喜び庭駆け回り 猫はこたつでいなくなる♪」
私「いなくなるってwwwちなみにさあ、あなた『こたつ』ってなんだか知ってる?」
長男「みかんやお餅を置くところ?」
私「確かにおいてあることもあるけど…見たことない?」
長男「うん」
ちょっと衝撃的ではありましたが、確かにそうかもしれません。私の育った家の居間には、もちろんこたつが鎮座していましたが、今の家にはありません。祖父母宅のどこかにはあるのかもしれませんが、ここ数年、どちらの実家でもお目にかかったことがありません。保育園にもないでしょう。
それでみかんやお餅が置いてある絵だけを見せられたら、低いテーブルだと認識するのもやむを得ないかもしれません。我が家に関して言えば、生活の洋風化というよりは、こたつで食事をしない限り(=食卓の代替とならない限り)置く場所がないんですよね…。こうやって、親世代馴染みのものが認識されなくなっていくんだろうなとしみじみ感じました。
余談で須賀、私にとっては「黒千代香」がそんなイメージです。里の酒飲みの風習と関連してよく知られる道具なので須賀、健在の祖父の家でもポットのお湯で割って飲んでいたので、使っている様子を見たことがありません。あの宴会部屋にはまだこたつがあるはずですけれども。
次は先週ぐらいに、細君から聞いた話。最近細君にそそのかされてたまに書いている日記にまつわるやりとりです。
遠足の日に細君にお弁当をこしらえてもらったのが嬉しかったようで、その日は「おべんとうがおいしかった」という趣旨を書いていました。細君がそれを見つけて…
細君「その日記、FBに載せていい?」
長男「日記だけはやめてほしい。恥ずかしいから」
長男「あのさあ、こんどから、インスタグラムに写真を載せる時は、なになにの写真を載せていい?って聞いて、いいって言ったら載せていいけど、だめっていったら載せないでね」
「日記を読まれるのは恥ずかしい」というのはもっと大きくなればよくある話かもしれませんが、4歳児がそんな言い分をどこから仕入れてきたのか、本当に恥ずかしさを感じているのなら、なぜ机の上に開きっぱなしにしておくのか(笑)、ちょっと不思議な感じがしました。「親に見られること」と「ネットに投稿されること」の違いを理解しているというなら、バイトテロで炎上している皆さんに教えてあげたいくらい立派な心がけだとは思いますけど、その辺はじっくり聞いてみないとわかりませんね。
いつもありがとうございます。