現場を離れて久しい新聞記者のブログ。 読んだ本の紹介や旅行記(北朝鮮竹島イランなど)が中心です。 

『メディア不信』(林香里)

英米日におけるメディアと社会をめぐる状況を紹介しつつ、両者の今後のあり方を考える本です。
ドイツはナチス台頭への反省からリベラル・コンセンサスが広く存在したが、政治からもメディアからも周縁化された声が、AfDやPEGIDAといった排外主義政党に集まっている。イギリスは高級紙を読む中間層と大衆紙を読む層が分断し、BBCが表面的な公平性に足を捉えられてしまったことが国民投票でのEU離脱の一因となった。商業主義の徹底によりメディアの分断が進むアメリカではメディアもエリートとみなされ、ソーシャル・メディアで細分化されたターゲットにアピールすることで反知性主義をうまく取り込んだトランプ陣営が大統領選に勝利した。日本では依然としてメディアへの関心が低く、それがひいては民主主義の質を下げうる(下げている)ことはあまり認識されていない―。著者は総じて、このように各国の状況を診断していきます。
これらの状況を総合して、著者は、各国で進む社会やメディアの分断に問題を見出します。そして、「私達の身近に市場にも政府にも支配されない文化空間を創造し社会で共有することによって、市民の間でより多くの信頼を分かち合い、社会の分断を緩和できる」「多様な声をまとめる、共通基盤としての「公共性」を再興する制度設計を考えること…は…ますます重要になっていくのではないか」などと論じるのです。
 
つらつら要約っぽいことを書いてしまいましたが、ここからは感想をば。各国のメディア状況が紹介されていて興味深かったで須賀、日本についての部分がかなり「無関心」に寄った説明であったのが印象的でした。ニュースサイトのコメント欄などを見ても、いわゆる「ネトウヨ」と呼ばれるような主張で溢れ返っていることは珍しくないと感じま須賀、そうしたネットユーザーは全体の1%未満に過ぎないという研究も示されています。恐らくこれについてはむしろ、「ネトウヨ」たちの規模に比べてのプレゼンスの大きさに注目すべきなのかもしれません。アメリカ大統領選でトランプ陣営がbotを活用したなどという話もこの本に出ていますし、日本の「ネトウヨ」的コメントが自動で書き込まれたものかどうかは別として、ネットで規模感を体感する難しさをよく示しているなあと感じました。「沈黙の螺旋」とまで言うと大げさかもしれませんが、特に日本社会における同調圧力はよく指摘されるところでもある(著者も指摘している)ので、これは単純に「人数の目測を誤った」というだけのことではなく、ネット社会における世論形成に関わる大きな問題でありましょう。
その点ともちょっと関連しま須賀、日本のメディアの分断状況についてももっと触れてもよかったのではないかと思いました。(これは出版後の出来事で須賀)産経新聞が事実に基づかない報道に乗っかって沖縄の新聞社を非難(?)するなど、日本のメディアも分断が相互対立に転化するフェーズに入っています。元整理部員的な観点で言えば、安倍政権への評価に関わるようなニュースでは、特に朝日・毎日・東京と読売・産経では扱いの違いが如実に表れます。アメリカのメディアはジャーナリズムの根幹に関わる問題では権力に対して団結する、と言われま須賀、今の日本ではそれが期待できる状況ではないようです。こうした状況を市民が「無関心に」眺めている(あるいは見てすらいない)というのはうすら寒い光景ではありま須賀、紹介された各国に劣らず、メディアが分断し対立しているように私には見えます。
最後に一つ。この本で直接の言及はありませんが、『公共性の構造転換』(ユルゲン・ハーバーマス)を踏まえた議論にはなっているようです。メディア自身が説明責任を果たしながら、社会をつなぐプラットフォームを目指すべきだ、という主張はその延長線上にあると言っていいで生姜、社会の高度化や「福祉国家の撤退」などによる*1社会的分断や、ネットの普及によるマスメディアの地位の相対的低下を経て、様相はより複雑化しています。そしてそれはもちろん、民主主義の問題であるわけです。

*1:もちろんこの本が指摘してきたようなメディアとの関係性もあり