かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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帰郷(訃報を受け取って)

今朝、祖父の危篤の知らせ&訃報が入り、急遽生国に入っています。生物学的な意味ではなくして、私を今の私たらしめた最初の人だった祖父*1の死を、今でもなんだか受け止められないでいます。どのくらい受け止められないでいるかというと、今し方「祖父の死」とタイプし、パソコンの液晶にその文字を認めたことで気が動転してしまったほどです。
亡骸と対面するまでは、祖父の家に向かう車中で見た虹を白々しいと感じたり、カーラジオが祖父が死んだにも関わらず刻々と新しい時を伝えているのを聞いて「時間の流れは死者を待ってはくれないんだ」と当たり前のようなことに感じ入っていた*2ので須賀、亡き祖父の白い顔を見て、祖母がするように彼に触れることはおろか、直視することすらできませんでした。
それでも何度か表情を眺め、それも仮通夜の酒席でそれを繰り返すうちに、なんだか見慣れた祖父の顔に見えてこないでもありません。最後に見た笑顔―その表情が最期だったとこの場で認めることにも葛藤が伴うので須賀―とは比べものにはならないので須賀、自分と同じたくましい眉毛、広い広いおでこを見るにつけ「ああ、じいちゃんだな」といつものペースを取り戻せそうな気がしてきます。
それでも、場でのぼる会話は「在りし日の祖父」*3ですし、自分は弔問客を接待する側の端くれでもあるわけです。そして酒は進む。明日は本通夜です。多分こうして、酒にごまかされながらも徐々に人の死を受け入れていくやり方もあるのでしょう。
率直に言うと、まだ本通夜も告別式もない段階でここで何かを述べることに躊躇がなかったわけではありません。ただ、一通り終わった段階でしゃべるよりも、今この状態での心境を吐露しておいた方が、結果的には素直な気持ちを述べたことになるでしょうし、何より自分がこの出来事を振り返ることに資すると思い、あえて焼酎を呷りながら書いています。
ただ一つだけ、今でも整理がつかないのは、元気な祖父に会うために、8月6日の飛行機を予約していたことです。

*1:まあもちろん生物学的に彼がいなければ私はいません

*2:私はこの祖父の影響で歴史を知る楽しさを知った小学校入学前後から、自分がいつか死ぬことで歴史の流れから取り残されるのを極度に恐れてきた

*3:今は亡いのが前提