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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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まさに今、読んでよかったと思えた本/『過去の克服―ヒトラー後のドイツ』(石田勇治)

過去の克服―ヒトラー後のドイツ

過去の克服―ヒトラー後のドイツ

「ドイツは過去と向き合い、周辺諸国との良好な関係を築いている。日本もドイツを見習うべきだ」―。第二次世界大戦で共に敗戦国となった日本とドイツについて、国内外においてこのような対比で語られることがしばしばあります。それは往々にして「過去の克服」を成し遂げた(西)ドイツを理想化し、返す刀で「健忘症」の日本を非難する論調であるわけで須賀、ではドイツは戦後どのように過去に向き合ってきたのか。その関心を軸にしたドイツ現代史の本です。
結論から先に言えば、ドイツの政治指導者や社会が一糸乱れず「過去への反省」を繰り返してきたわけではありません。政治的・社会的に振幅を繰り返してきたという方が正しい表現でしょう。政治面では、ごく大雑把に言うとキリスト教民主同盟・社会同盟と社会民主党の間の政権交代が、政府のスタンスを象徴的に表しています。反ナチズムを掲げながらも、国民統合のため一部を除いた旧ナチ派の包摂を図ったアデナウアー(キリ民)、反ナチ闘士としての経歴を持ち、ワルシャワのゲットーで跪いたブラント(社民)、「アデナウアーの孫」*1を自任し、歴史的アイデンティティの創出による国民統合を目指したコール(キリ民)―と長期的に*2揺れ動きながら、後知恵的で須賀、それぞれがそれぞれの時期に、その役割を果たしていった側面もあると言えます。
社会的にも、アメリカ発の映画『ホロコースト』の衝撃がその悲惨さをドイツ世論に深く認識させたり、そうした過去に向き合う教育が積極的になされてきた反面、ユダヤ人に対する嫌がらせが頻発したり、「ヒトラーブーム」なんてのが起こったりと、ネオナチ的な衝動から「オレたちは十分謝ったんじゃない?もうそろそろ勘弁してよ」的な雰囲気まで、その反応は一様でなかったことが記されています。
では、それでも日本との対比においてドイツを特徴づけたものがあるとすれば何か。大きく言って二つあると思います。まずは、ナチやその同調者らによる行為がドイツ刑法に基づき、ドイツの裁判所で裁くということが戦後長らく続いてきたことです。もちろんそうしたこと自体が、ナチの行為の事実解明を進めることに貢献した*3ことは間違いないで生姜、それに加えて注目すべきは、幾度となく立法の場で議論が戦わされた「時効論争」です。過去の行為が刑法で裁かれる以上、時効の問題が絡んでくるのは必定なわけで須賀、じゃあ時効だからといって例えばホロコーストの下手人を野放しにしていいのか。逆に言えば、既に行われた行為の時効を後から延ばしたりなくしたりするのは、法治主義にもとるのではないか。そうした議論が、時効の節目ごとに議会の場でなされてきたのです。日本の国会では、どのくらいそれがなされてきたでしょうか?
もう一点は、かつての交戦国や被害を受けた人々がどう受け止めているかという問題です。原因をそれだけに帰することは決してしてはならない誤りだと断った上で言うと、ヨーロッパにおける冷戦は終結したと言い得るのに対して、残念ながら東アジアはそうなっていません。共にヨーロッパ統合の原動力となってきた独仏関係と、(特に現在の)日韓関係を見れば、地域的対立構造の有無が決定的に重要なわけではないことは明らかである一方、置かれている国際環境が歴史の問題化に作用していることは指摘しておいてもよいでしょう。その意味において、この本の議論の中で「ドイツが如何に過去と向き合ったのか」に加えて、「周辺の国々がそれを(なぜ)どう評価したのか」についても(イスラエルだけでなく)広く言及されれば、さらによかったのではないかと思います。
今の話とも関連しま須賀、昨今のヨーロッパ金融危機で、支援を受けるための財政引き締め策などに反発した市民が、ヒトラーに似せたメルケル首相の似顔絵を掲げて街頭で叫ぶ姿を目にします。日本に住む私たちの目に、ドイツがいかに「過去の克服」を完遂し、周辺諸国との関係を改善したかに映っても、ドイツは今も「過去の克服」の真っただ中にいるということでしょう。多分、「過去の克服」は夏休みの宿題のように一定量のものをこなしてしまえば終わり、というものではなく、例えがどうかわかりませんが、日々こなすべき復習のようなものなのでしょう。ヤスパースの罪責論はじめ、政治家や知識人の様々な言葉が紹介されているのがこの本の特徴の一つでもあるので須賀、最後に一つ、今の日本の状況を考えると、残念ながら非常に示唆深いブラントの言葉を引用します。アイヒマン裁判に際するものです。

世界が私たちについて評価を下すとき、それは過去のドイツではなく、私たちの現在の行動と態度が試されるのである―

*1:なぜ息子でなく孫?(笑)

*2:恐らく「長い波」であった点も重要でしょう

*3:西ドイツが、東西冷戦の枠を超えた各国に調査のための協力を求めてきている点も、それら諸国の理解を得るという面で注目してよいでしょう