かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ナチスドイツに関する3冊

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

ヒトラーとナチ・ドイツ (講談社現代新書)

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

表題の通り、3冊一気にご紹介してしまおうという怠慢な目論見です。
前2冊は、民主的とされたワイマール体制下からなぜヒトラーが「合法的に」独裁を敷き得たかという問題意識でその時代の歴史が描かれています。ミソとしてはなぜ国民的支持を得られたか、如何にして全権委任法のようなすさまじい法律を通したかというあたりだと思うので須賀、まず前者としては経済の好転*1や外交的成功が挙げられています。後者については、微視的にはテクニカルな政治的数合わせ、より巨視的には、ヒトラー政権前夜になるとワイマール体制下のある種の緊急事態宣言である大統領緊急令を濫発することによって議会に基盤を持たない政権が誕生・維持された(大統領内閣)下地があったことを指摘すべきでしょうか。
比較で言えば、一冊目はかなりエロいというか、日本の特に安倍政権と関連付けて論じようという思惑がかなり強いです、というよりそのために書かれたと言って差し支えないくらいです。ファルターという人による当時の投票行動分析とそこから導かれる「ナチスは失業などの苦しみを現に受けているわけではないが、その迫り来る恐怖をひしひしと感じている層に訴求した」という仮説は非常に興味深かったで須賀、あれこれ枝葉で論及するようなことがちょっとズレていたり、肝心のヒトラーのテクストに対する批判的分析が甘い*2なんてこともあり、「安倍=ヒトラー」論で溜飲を下げたいという方には打ってつけとは思うので須賀、個人的には2冊目がオススメですかね。非常によくまとまっており、帯にあるように「決定版」と言ってもよいくらいに感じました。ちなみにそれ以後のドイツ現代史についての『過去の克服』もよかったです。
3冊目はちょっと毛色が変わって、アウシュビッツ収容所長が死刑になる前に書いた手記です。アウシュビッツには一度行ったこともありまして、しばらく本棚に積んでありました。この本に関しては、序文がしっかりしているのでそこの議論を踏まえればというところではあるので須賀、著者(ヘス)については、完全に組織の歯車としてストイックなまでに「真摯に」仕事に邁進することで、人間として最低限持つべき感覚すら麻痺してしまった*3と(少なくとも私は)評価せざるを得ないわけですけれども、彼は自分自身でもそうした批判を理解し、半ば受け入れる一方「その男(自分)もまた、心をもつ一人の人間だった」と嘯いている。ざっくり言えば「自分が人でなしの悪魔のように言われるのはやむを得ない部分もあるけど、本当はちゃんと人間的な感受性も持ってたんだよねフッ…」的な、ある種の感傷でもって自己満足というか、カタルシスを得ているようなところがあり、その辺の勘違い*4ぶりもひとつ際立っています。
例えば、「1942年春のこと、何百という数の、今を盛りの若者たちが、農家の中庭に咲き乱れる果樹の下で、大方はそれと知らずに、ガス室に向かって、死へと歩いていった。生成と消滅のこの情景は、今なおありありと私の目に浮かぶ」という一節は、彼の言わば偽善的な感傷を非常によく表現しています。そこに歩かせているのもチクロンBを噴射するのも彼らを「消滅」させるのも端的にこの文章を書いている人間の責任で行われていることなわけで、(この描写に限らず)こんな風にまるで他人事みたいに悲痛がってみせることができるのは、ある種の人格的な分裂性のなせる業なのではないかとも思えてくるわけです。かなり例として不適切なのは承知の上で挙げるなら、いじめを受けている子はいじめられている自分が自分でないように思えてくる場合がある、言い換えれば、いじめられている自分を別の自分が見ているような感覚になることがあると聞いたことがありま須賀、そうした精神状態と何らかの関係があるでしょうか。念のため言っておきま須賀、ヘスがどんな圧力でもって上官・ヒムラーに圧迫され、圧倒的な「仕事量」とその「困難さ」に追い込まれていたとしても、彼が「気の毒だ」ということにはなり得ませんし、その意味でいじめを受けている子と同列には論じられないことは十分承知しているつもりです。

3冊まとめて紹介するなら3冊まとめたオチを言え、と言われると途端に困ってしまうわけで須賀(笑)、最後に一つだけ感想を述べるなら、ものごとが急変するターニングポイントというのは(少なくともこの場合)あって、そしてそれは、恐らくリアルタイムではそれほど明々白々なものではないのだろうなあということです。今、私たちから見て、ヒトラー内閣の成立は非常に重要なターニングポイントなわけで須賀、当時は政界でもそうは見做されなかった。その時ヒトラーを首相に担いだ保守派らは、こう考えていたそうです。「どうせこいつも上手くいくまい。そうしたら使い捨てにされるのがオチだから、一時的に首相の椅子に座らせてもどうってことない」

*1:これについては前政権までの施策の効果が表れたものという側面もあるそうです

*2:言うまでもなく『わが闘争』のことです。ヒトラーはもともと反ユダヤ的思想を持っていたわけではなかった(当初そこまで関心はなかった)というのが定説のようなので須賀、著者は『わが闘争』の記述を鵜呑みにしているようです

*3:戦後収監された際、これまでとは真逆の立場となった彼にきつく当たる元アウシュビッツ収容者らの気持ちを「理解できなかった」と述べてさえいます

*4:彼が一切の感受性を持ち合わせていなかったと言うつもりもありませんが、「彼が言い張るほどでもないのも確かです」