昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)
- 作者: 筒井清忠
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/10/01
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政友会と民政党 - 戦前の二大政党制に何を学ぶか (中公新書)
- 作者: 井上寿一
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2012/11/22
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というのがこの間の経過であったわけで須賀、まさにその総選挙の直前、二大政党の交代という政治のあり方に当為の上でも、現実の上でも疑問符が付き始めていた時期に、政友会と民政党という、戦前の二大政党の時代を振り返る本が続いて出版されました。
『昭和戦前期の政党政治』は護憲三派による加藤高明内閣から5・15事件まで、『政友会と民政党』は両党の結党から語り起こし、主に同時期から大政翼賛会までを論じています。どちらもさまざまな資料を駆使して政治の流れを追い、前者は世論を含む各登場人物の息遣いを、後者はそれぞれが訴える政策を中心に、二大政党の「顛末」を描き出しています。
その中で最も明確に浮かび上がった、と私が思うのは、皮肉なことに戦前と戦後の政治過程の相違です。最も顕著な点を挙げれば、日本国憲法では内閣総理大臣は国会の指名に基づいて決まりま須賀、大日本帝国憲法下では、元老などの推薦に基づき天皇の大命が下る。要するに、この二冊の本が紹介しているように、総選挙で過半数を取った党から首相が出る制度的担保はない。それでも政友会と民政党の間で政権が行き来したことがあったのは、第一義的には元老・西園寺公望ら宮中がそれを志向したからだと言うことはできるのであって、「最後の元老」が彼ではなく山県有朋であったなら、そうはならなかったかもしれないわけです。それに限らず、枢密院や軍部など、当時の現実政治には現行憲法下よりも多様な政治勢力が割拠しており、例えば直接的には天皇自身が田中義一内閣を倒してしまったり、両党ともに天皇を政治シンボルとして利用して現内閣を攻撃するなど*2、政党の側が議会外勢力を政争の場に招き入れてしまうというようなことがたびたび起こっていました。その意味においては、戦前の政党政治史は政党政治だけを論じても仕方がない、という度合いがより大きく、その点『政友会と民政党』は、宮中や世論*3といったアクターの動向にあまり目線が配られていない分、政治全体における政党政治そのものの位置づけがややはっきりしないと言わざるを得ません。
一方で、両時代の共通点もいくつも指摘できます。両党の激しい足の引っ張り合いや司法も絡む疑獄、二大政党間の政策の接近(差異の不明確化)、マスメディアを通じた「劇場型政治」*4、そしてそれらを倦む世論による「第三極」待望論…。戦前においては、その中で共に政権を失った政党政治勢力は「ファッショ反対」などの主張を掲げてお互いの連携も模索し始めま須賀、終には「自分たちだけバスに乗り遅れるな」という心理状態に陥り、結局政党政治の基盤を掘り崩すような「悪しき競争」に見える動きに走ってしまいます。
この時期の政友会と民政党を巡る経験に発して、一方の本の帯に書いてあったように「日本は二大政党制が機能する国なのか」までを論じることは、二つの時代における政治過程の大きな違いなどから私は消極的です。それでも、一言で言ってみれば「木を見て森を見ず」ということでしょうか、党争が政党政治自体を掘り崩した史実は重く受け止めるべきでしょうし、政党内閣の首班・犬養が凶弾に倒れ、非政党内閣が立ってから、翼賛選挙が行われるまでがほぼちょうど10年でしかないわけです。昨今「政治」の修飾語としては、「決められない」の如き停滞や無力を連想させる語がポピュラーであるようで須賀、その10年ほどに事態を一変させてしまうのも政治の作用であるということは、現実に妙な決断主義のバスが走り始める前に*5肝に銘じておいてよいのではないでしょうか。
*1:そのやり方こそが、二大政党制が日本政治に寄与する回路をかなりの程度ぶち壊した、と私は考えていま須賀
*2:「統帥権干犯問題」「不戦条約問題」などがそうで須賀、最も顕著なものは「天皇機関説問題」でしょう
*3:これは戦後も大いに関係ありま須賀
*4:『昭和戦前期の政党政治』に出てくる見方なので須賀、著者が「劇場型政治」をどう定義づけているのかやや不明瞭で、「朴烈怪写真事件」などに関してはそれをそう見なしていいものなのか若干判じかねるというか、牽強付会な印象も受けました。ただその一方で、かく言う私は政治の場がそのまま劇場になったような「小泉劇場」の観客でもあったわけで、その規定力の下にいるからそう感じてしまうという側面も否定できません
*5:もしかしたら、既にそれはもう起こっているのかもしれませんが…