かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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「江の島の猫」からの夢想

PC遠隔操作事件 猫に首輪をつけた人物の特定進める
パソコンの遠隔操作ウイルス事件で、神奈川県の江の島で猫の写真を撮る眼鏡をかけた男の姿が、防犯カメラに映っていたことがわかった。
江の島では、内側に記憶媒体が貼られたピンクの首輪をつけた猫が見つかっている。
警視庁のその後の調べで、真犯人とみられる人物からメールが送られた前日の4日、この猫の写真を撮る眼鏡をかけた20〜30代とみられる男の姿が、防犯カメラに映っていたことが新たにわかった。
防犯カメラには、ほかにも猫に近づく人物の映像が映っていたという。
警視庁などの合同捜査本部は、9日も江の島に20人ほどの捜査員を派遣し、不審な人物がいなかったかなど、聞き込み捜査を行い、猫に首輪をつけた人物の特定を進めている。
眼鏡をかけた男は、猫の写真を撮る様子が防犯カメラに映っていたものの、猫に首輪をつける様子は映っていない。
このため、捜査本部は連日、捜査員を江の島に派遣するなどしていて、江の島や江の島周辺の駅などの防犯カメラ映像の解析を進めるとともに、首輪を持っていた人物などの目撃者を捜すことに力を入れている。
また、猫につけられた首輪に貼られていた記憶媒体には、遠隔操作ウイルスプログラムのソースコードといわれるものが書き込まれていたこともわかった。
5日のメールは、これまでネットの社会にいた真犯人と現実の社会との接点を見いだす可能性があるが、捜査本部はこれまで送られてきたメールなどの解析も引き続き行い、犯人を割り出していきたいとしている。
(1月9日、フジテレビ)

いわゆる「遠隔操作事件」の捜査は、「真犯人と現実社会の接点」を見出すことで、捜査側が「現実社会」という自分の土俵に何者かを引きずり出しつつあるようです。その何者かを見つけだすことには捜査側に一日の長がありそうで須賀、まさにその人が何者なのか(本当に真犯人なのか)については、そもそもの事の発端を思い出すまでもなく、十分慎重な捜査と判断が求められています*1。純粋に個人的な感想を述べるなら、写真にわざとらしく地元紙を写すなど、自分が神奈川県内にいることを敢えて見せるような行動をとってきた「真犯人」が、またもや神奈川県内の一大観光名所に自分の足跡をこれ見よがしに残しているあたりに、強い違和感を覚えます。
まあ、それは置いておきましょう。この一連の事件は、捜査機関のみならず報道機関にも多くの教訓を与えていま須賀、じゃあ次に同様の「爆破予告」なりがどこかに書き込まれ、誰かがその容疑で逮捕された、と警察が発表した時、報道がどこまでその教訓を生かせるかについては、楽観視しない方がよい気がします。
「専門的なネットに関する知識に記者がついていけていない」。まさにその通りであり、私こそがその好例です。それはそうとしても、そもそもことは「遠隔操作事件」に限りません。殺人など「大きな(とマスコミが判断する)」事件には即座に複数の記者が投入され、その後も手分けをしながら捜査の展開を追い、事件関係者への取材も進めていくので須賀、では新聞やテレビが報道している全ての事件・被疑者逮捕に対して、同様の取材がなされているかといえば、もちろんそうではありません。もちろん「どうでもいい事件」なんてものはありません*2し、「典型的な普通の○○事件」なるものも存在しない、というのが私が最初に仕えたデスクの教えでした。しかし、それに従事する記者のマンパワーと発表する媒体の枠による制約がある以上、それらを割く度合いというのは事象によって異なって来ざるを得ません。少し脱線して言うと、そこは今述べたように「制約」である反面、その両方の制約がより少ないネットと比べ、発信側の価値づけというのを打ち出しやすいという特長にもなりえます*3
話を戻せば、事件報道には自ずと報じる側の価値づけが表れるとすると、今回のような「遠隔操作」が発覚していない/ではないような「爆破予告事件」の容疑者逮捕の取材に、報道機関がどのくらいの労力を投入するでしょうか。当然、報道各社の判断の差もありますし、事象の差もあるで生姜、こと(発生ではなく)逮捕の報道に限って言えば、発表した警察への取材で事足れりとしてしまうケースが多い、というのが私の感覚です。少なくとも、殺人事件の被疑者が逮捕されれば、良くも悪くも悪くも被疑者周辺への取材が殺到しがちであるのとは明確に異なると思います。じゃあ、逮捕した側からのみの取材で、その逮捕に疑問を持つ*4ことができるか。逮捕した警察がそこに自信を持つのは当たり前ですし、逆にそうでないのに人の身柄を拘束してもらっては困ります。ただ一方で、現行制度では、逮捕された一人ひとりに、逮捕した側を介さずに取材する回路があるわけではありません。
それでも、だからこそ、警察がどうこうではなく報道の側の問題として、無実の人を容疑者として論うことのないようにどうすべきなのか、何度でも考えなければならない。私自身も事件取材をするようになり、このことに考えが及ぶ度に、もし逮捕された被疑者をその都度直接取材できたり、あるいは、例えば弁護士などがつくる組織が、逮捕→発表という流れにある程度システマティックに介在し、(特定の「有名事件」だけではなく)彼らの言い分を発表できたりする仕組みがあれば、なんてことをつい、夢想してしまうのです。

*1:それこそ言うまでもないで生姜

*2:あったとすれば、それ少なくとも報道されるべき事柄ではありません

*3:もちろん、てんで理解されないような価値づけを繰り返せば自らを傷つける「両刃の剣」でもありま須賀、本稿でそこまで脱線する気はありませんww

*4:必ずしも「悪意を疑う」ということではなく