かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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「鎌倉アカデミア」をどう接合するか/『大学とは何か』(吉見俊哉)

大学とは何か (岩波新書)

大学とは何か (岩波新書)

中世ヨーロッパにおける起こりからその「死」と「復活」、日本への移植そして大学紛争など、大学の歴史(世界史・日本史を問わず)を網羅しながら、今後の大学とそこにおける知のあり方を考える本です。恥ずかしながら私自身「大学の自由」と聞くと、まさか「大学生は自由に遊べる」という意味ではないにしても、「大学は外部の(政治)権力に侵されない学問の自由を持つ」というあたりで理解が止まってしまっていたというのが正直なところなので須賀、カントが哲学部の自律的な知、デリダがあらゆる経済的合目的性や利害関心に制約されない「条件なき大学」と言った、その意味にまでつなげて理解できたことは収穫でした。それにとどまらず、こういう形で流れを追って大学についておさらいする機会というのもなかなかなかったもので、自分の経験した学生生活での諸々について、「ああ、だからそうなっていたのか」と目から生ハム状態になったことがらもありました。
一方で、このように歴史を中心に話を組み立てていることもあって、「知のメディア」という大学観における、そのグーテンベルク以後のあり方への言及なんてのはあるものの、まさにそれ以来のメディア激変期ともされるネット時代のありようについては基本的にはあまり触れられていません。
また、まあ一つだけ指摘させていただくなら、著者が「一九三〇〜四〇年代の最も創造的な知」に深く関わるとした「唯物論研究会」が、「その系譜的遺産が大学から切り離されたままで、戦後へも継承されていない」とこの本の中では述べられていま須賀、まさにその戦後の混乱期、研究会のメンバー三枝博人が校長となり、鎌倉の寺院を校舎に「鎌倉アカデミア」という教育の取り組みがなされました。大学としてスタートしたものではなく、資金難などで5年に満たずに解散してしまいましたが、鎌倉文士の高見順などが教鞭をとり、卒業生として山口瞳いずみたくらを送り出しています。この知は、エスタブリッシュメントとしての「大学から切り離され」その「戦後へも継承されていない」と言えるのかもしれませんが、まさに著者が述べているように、中世の大学が都市から都市へと移動する知識人集団をルーツとしており、またそうし得ることが「大学の自由」を基礎づけているとするなら、「鎌倉アカデミア」的な知や「大学」のあり方をも、この本全体の議論の中に位置づけていくことは有益なのではないでしょうか。