「戦後、立派に平和と民主主義を守った泉下の先輩たちは、泣いていると思う。自民党にもいっぱいいい人がいるが、あの大将(安倍総裁)だけは駄目だ」―。
投開票を明日に控えた総選挙。選挙戦の最中にそう声を張り上げたのは、今回で政界を引退する民主党の藤井裕久元財相でした。
まあなんと、まさにそうだ。それがその報道に接した時の、私の率直な感想でした。また自民党を批判するのかと苦々しくご覧の方もいらっしゃるかとは思いま須賀、今年の4月に自民党が決定した改憲草案を見返すと、やはりこれは言っておきたい、いや言わねばならないと思い至り、ここにもう一度筆を執る次第です。もちろん草案は安倍さん1人でつくったものではありませんが、彼が再び首相となれば、恐らくそれを強く進めようとするでしょうから*1、やはり明日になる前に私の心配事を吐露しておきたいのです。
「憲法改正草案」を発表(平成24年4月) | コラム | 自民党の活動 | 自由民主党
草案の現行憲法との対照表はここで見ることができますので、私なんかの意見を聞く前に、是非そのものをお読みください!
ここでは、例の国防軍などに関する9条や、天皇に関する第1章、あと前文(笑)に関しては触れません。それは、戦後日本で物好きのコテコテ漫才というか、決着し得ない神学論争であるかのように見られることの多かった*2「右翼」と「左翼」の争い、とは矮小化し得ない問題を孕んでいる草案だと考えるからです。すなわち、これは既に各所で語られているように、近代国家の根本原理であるはずの立憲主義と、市民の基本的人権を脅かしかねないシロモノだと思うのです。
以下、現行の日本国憲法の条文を紹介する場合は「現行第○条」、自民党草案の場合は「草案第○条」と表記します。
- 「公の秩序」?「国体」?
一番恐ろしいのは、草案に何度も出てくる「公の秩序」という言葉です。
草案第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
草案第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
今挙げたのは一部の条文で須賀、これじゃあ何とでも言えてしまうと思いませんか?
第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
(以下略)
これは悪名高き治安維持法(改正後)の一部で須賀、「公の秩序を害する」と言うか、「国体を変革する」と言うかはそれほど大きな違いでしょうか。
- 消えた条文
現行第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
自民党草案では、なぜかこの条文が丸ごと消えています。まさか「我が党の憲法草案では国民に基本的人権を保障しないのだぐはははは!」とか、「将来の国民に対してまで不可侵の権利とするかは留保します」と言うつもりでもあるまいし、変な誤解を与えかねないようなことはやめるべきだと思いますけどね。「日本国憲法はアメリカの押しつけだ!」と言うために削ったんだとしても、「人類の」と書いてあるわけでここに怒っても仕方がないような気がします。
- 立憲主義はどこへ?
草案第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
いきなりそもそも論で恐縮で須賀、憲法というのは統治機構の権力を制約するためのものです。日本国の統治機構は、イージス艦から拳銃を持った警察官、国民を殺すための法制度までさまざまなレベルでの暴力装置*3を持っており、彼ら/これらがちゃんと目的通りに機能するように、憲法という最高規範で縛りをかけているのです*4。なので、さっき出てきた「国民は(中略)自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」(草案第十二条)なんてことは、間違っているとは思いませんがそんなことを憲法に言われる筋合いはない(笑) 似たようなものに「家族は、互いに助け合わなければならない」(草案第二十四条)なんてのもありま須賀、こっちは余計なお世話であるばかりか、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位」(同)とされているのを見るにつけ、これは家族の多様なあり方を制約すらしかねないと不安になってきます。
そんなわけで、国民が統治機構の運営の仕方/制約の仕方を決める約束事の文章に、国民はこの憲法を尊重しろなんてことを入れるのはちょっとどうかと思います。「公の秩序」なんて曖昧模糊たる言葉で基本的人権を制約しようという条文が含まれていれば、なおさらです。念のために言えば、こうした条文がなくても、私人間での基本的人権の侵害を法的な俎上に置くことは現行憲法下でも可能とされています。
それにしても気になるのは現行憲法との比較で、国民が入った代わりに抜けたのは何、というか誰でしょうか?
・・・ぐだぐだやってしまいましたが、「国家権力にしっかり歯止めをかけ、基本的な人権を保障する」という憲法のそもそもの目的に照らして、この改正草案が現行憲法と比べ、よりよい方向に向かっているものなのかどうか、私の考えを述べてきました。今になって気づいたので須賀、【個人の尊重の否定】公民の先生が呆れかえる自民党改憲案の問題点の凄まじさ【立憲主義の否定】 - Togetterみたいなのもあるんですね。
何にせよ、民主主義はベターな選択でしかありません。私の選挙区でも残念なことに、全ての候補について「この人に投票したくない理由」を挙げるのはそう難しくありませんでした。それでも、どんな選択がよりマシなのか、判断して投票してこようと思います。
今日、ここにはその際の一番の心配事を書きました。「バカなことを言っていたなあ」という風にであっても、気にかけてくれればうれしいです。