かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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『戦国武将、虚像と実像』『武士とは何か』(呉座勇一)

【目次】

 

前者は有名な戦国武将がそれぞれの時代にどんな人物として描かれてきたか、後者は中世人たちの名言から見える武士のメンタリティ、を読み解こうとする本です。

「タヌキ親父」から平和主義者へ

儒教倫理の強い江戸時代には明智光秀のような裏切り者は基本的には批判され、当然幕府を開いた徳川家康は顕彰されま須賀、庶民に人気があるのは豊臣秀吉でした。明治維新後は立身出世や対外拡張という意味合いで秀吉人気が高まり、織田信長は「勤王家」として評価されます。戦後は秀吉の朝鮮出兵は「愚行」とみなされるようになるものの、その人生はサラリーマン出世街道的に理解されるようになりました。「タヌキ親父」扱いだった家康も天下泰平をもたらした平和主義者との見方が現れ、信長はむしろ「天皇を超えようとした変革者」とされるようになりました。

要するにこれらは、新たな歴史的事実が判明したというよりは、時代によって彼らに投影される価値観が変化してきたという要因が大きいと言えます*1。また戦前の徳富蘇峰、戦後は司馬遼太郎の作品が戦国武将たちのイメージに与えた影響も無視できません。

ナメられたら終わり

後者は、武士が誕生した時代に高名*2を博した源義家から、中世武士の終わりを象徴する発言を残した伊達政宗までの名ゼリフ(あるいは言ったとされる内容)を紹介しながら、それらに共通する価値観やありようを炙り出していきます。そこにあるのは暴力性・残虐性であり、一方的な忠義ではなく双務的な主従契約であり、自力救済のための名誉(ナメられたら終わり)ですので、「いわゆる武士道」の世界とはかなり様相が異なっています。

ステレオタイプを破る楽しみ

どちらも実証的かつ豊富な事例にあふれ*3、そして最後にちゃんとそれらを一般化した議論を展開してくれているので、単純に知識欲を満たすという意味でも、中世武士の実像や後世に形成された「虚像」に近づくという意味でも有益な本だと思います。

人間はどうしても物事をステレオタイプで認識しがちです。その方が楽だから当然と言えば当然で、現在進行形の事象や存命の人物と比べ、過去の出来事や人物については情報の更新も少ないですので、一度出来上がったステレオタイプが崩れる機会もそう多くありません。実証的な研究の成果で既存の定説やイメージが崩れていくと、たくさんのステレオタイプを持っていた側からするとアップデートに苦労する側面はありま須賀、過去に起きたこと自体の理解を目指したり、歴史から(人生訓ではなく)人間という存在やその集団のありようや振る舞いを学び取っていこうとするなら、こうした議論に接していくことは不可避であり、また楽しみであると思います。

*1:戦後、六角承禎の手紙で斎藤道三の「成り上がり」が親子二代によるものと判明したように、新事実の発見ももちろんあります

*2:「名声」という言葉は避けます

*3:「院と言うか犬と言うか」(あるいは同種の名言)がなかったのが意外でしたが