かぶとむしアル中

取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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ゲージツ鑑賞その1/絵画

先日、珍しくも珍しく美術館に行ってまいりました。パリのオルセー美術館とウィーンの美術史博物館を駆け抜けた経験くらいしかない私で須賀、偉そうにも「印象派の絵が好き」と高言しており*1、この日見に行ったのも、モネとルノワールを中心とした企画展でした。
私は、自分のほんのわずかな絵画鑑賞経験から、印象派の絵画というのは「(描く対象の)○○はこんな形で、こんな色をしている」というよりは「○○はオレにはこう見えた!」という側面を強調していると感じています。その前提に立てば、鑑賞する立場から出てくるのは、例えば「うん、オレにも○○はそう見えるよ」とか「いやいや、○○はそんな感じじゃないべ?」というような言葉であり、そもそもその○○を鑑賞している人間が見たことがある、という事態はそんなに頻繁に起こることでもない*2わけで、その見たことのない○○の絵を見て「ああ、こういう風景なんだろうな」とか「なんだか見たことがあるような…?」というように、描いた画家の網膜に結んだものが鑑賞者の中にも結ぶ(という気に鑑賞者がなる)と、それはその絵が上手いとかどうとかではなく、その絵と鑑賞者の波長が合ったということになるんだろうと、そのように理解しています。
その意味において、最も波長が合った経験が多かった(気がする)のが前述の2人の絵であり、今回も言ってしまえば「鉄板」でした。間近で見れば(ものによっては)いたずら描きのような油絵の具の散乱にすら見えてくるのに、ちょっとずつ絵から後退すると、あたかも訪れたことがある場所のようにすうっと像を結ぶ。特にルノワールの風景画には感服させられました。
ただまあ、それらは以前からなんとなく感じていたことでもありますので、備忘録的に一つ書き残しておくなら、今回初めてそれとして見たフォーヴィズムも同じようなスタンスで見られて楽しかったです。

*1:行ったことのある数少ない美術館のうち、一つが印象派中心のそれである

*2:私は富士山を見たことはありま須賀、モナリザに描かれた女性と出くわしたことはありません