【目次】
イスラーム教と独裁は関係ある?
地域研究とサイエンスとしての政治学の双方から、中東政治にアプローチした本です。国家の成立やあり方、独裁国家や紛争が多い理由、石油資源が経済発展などに及ぼす(多くの場合負の)影響、世俗化や宗派対立の内実などを切り口に、政治学的な知見を駆使しながら議論を展開していきます。
これらを通じて著者が挑んでいるのは、「中東はイスラーム教の影響が強く、民主化も経済成長も進まない世界的にも特殊な地域である」との主張です。
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にも通じる議論で須賀、維持されている独裁体制には独裁者側の合理的な戦略が明確に反映されていますし、いわゆる「石油の呪い」も普遍的な現象とされます。アラブ・イスラームというアイデンティティに基づく政策も多く見受けられるものの、それこそ正統性や統治能力が弱い国家のツールの一つであるとも言え、「中東の特殊事情」と「普遍性のある現象」をちゃんと見分け、全てを前者に帰さない姿勢を強調していたのが印象的でした。
公理としての「我々の優位」
こちらはイスラーム思想研究者による、20年近く前からの新聞・雑誌などへの寄稿をまとめたものです。
イスラーム世界と(良くも悪くも)歴史的な因縁の浅い日本における中東論のあり方など、論点は多岐にわたりま須賀、著者も述べているように、各稿の根底にあるのはイスラーム教が主張する自らの普遍性だと感じました。即ち、イスラーム世界ではイスラーム教という絶対の価値規範と政治・軍事的な優位性が言わば公理として存在し、その上での他者との共存や平和が語られる、というのです。
これは「自分の自由を守るために他者の自由を侵害しない」ことを旨とする西欧の自由主義と相反します。自らの優位を前提とする「共存」と、(30年戦争などの悲惨な経験を経て)お互いの違いに白黒つけることを諦めた相対主義的な「共存」では噛み合わないのも必定で、何度か問題化したことのある「ムハンマド風刺画事件」などもこの辺の認識の齟齬が根底にあると言えます。
いかに折り合いをつけるのか
思っていたよりも共通の原理で動いているけれども、他者との共存の前提に大きな断絶がある。そんな相手とお互いにどう折り合いをつけていくべきか。それぞれ現実政治・社会メカニズムの共通性の高さに肯定的に注目し、相手の普遍性や優位を認める形での相対主義があり得るのか(「名を捨て実を取る」)、あるいは逆に「実を捨て名を取る」ような玉虫色の決着*1が可能なのかー。
恐らくそんな単純な問題でもなく、中東から欧州などへの移民が増えるなど、ヒト・モノ・情報のグローバル化が進む時代に至ってついに逃げ切れなくなった、思想上の難題と言えるかもしれません。