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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

北朝鮮竹島イラン旅行記
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時効廃止の遡及適用はさすがにヤバいのでは?

時効廃止法が施行 国会審議約4週間で改正法成立
殺人事件などの「公訴時効」を廃止する刑事訴訟法などの改正案が27日午後、衆院本会議で可決、成立し、改正法は同日夕、施行された。「逃げ得を許していいのか」という犯罪被害者の声の高まりを受け、捜査実務にも影響する刑事司法の大転換が、約4週間という異例に短い国会審議を経て実現した。
27日の午前中に法務委員会で締めくくりの質疑が行われた後、採決があり、原案通り可決された。法案は、直後に開かれた本会議に緊急上程された。改正法は成立後、持ち回り閣議を経て公布の手続きが行われた。
改正法による時効見直しの対象となるのは「人を死亡させた罪」。このうち殺人や強盗殺人など、法定刑に死刑を含む罪については時効を廃止する。また、強姦(ごうかん)致死など無期懲役を含む罪は15年から30年▽傷害致死危険運転致死罪は10年から20年――など、一部の罪を除いて現行の時効の期間を2倍にする。
改正法は、施行された時点で時効が完成していない事件についても適用される。殺人事件の場合、現行の25年に延長した2005年の改正以前に起きた事件は、これまでは15年で時効だった。警察庁によると、15年前の95年に発生し、捜査本部が置かれた殺人事件で、未解決事件は28件。このうち、同年7月に東京都八王子市のスーパーで女性3人が射殺された事件は、法改正によって時効廃止の対象になる。また同年4月28日に岡山県倉敷市で夫婦の遺体が見つかった殺人放火事件は、27日に法が施行されたため、発生時刻によっては28日午前0時の時効がなくなる可能性がある。政府はこうした時効直前の事件の救済を少しでも広げようと、先に審議された参院法務委員会で今月1日に審議入りして以降、成立、施行を急いできた。
法改正をめぐっては、日本弁護士連合会が「事件から長い期間がたつことで証拠が散逸し、アリバイ立証ができなくなって冤罪を生む」などとして反対。また、日弁連や刑法学者らの間では、時効が完成していない過去の事件に適用することについても、さかのぼって処罰することを禁じた憲法39条に違反するのでは、という意見も出ていた。
民主党も当初、政権交代前に「特定の事件について、検察官が時効の中断を裁判所に求める」とする政策案を発表した。だが、法相が諮問した法制審議会では民主党案は否定され、自公政権時代に森英介元法相が開いた勉強会の最終報告に近い案を答申。法相は法制審の答申に沿った法案を提出した。
27日の法務委員会の審議では「刑罰の基礎となる制度の法改正に、生の被害感情を持ち込むのは問題ではないか」「時効見直しでも検挙率は上がらない。むしろ捜査の充実が重要だ」といった意見が出た。しかし、民主党の政策の転換によって、与野党双方から法案への目立った批判は出なかった。
法成立を受けて、法務省は今後、未解決事件の証拠品の管理など捜査実務上の課題について、警察庁と協議する方針だ。(河原田慎一)
(4月27日、朝日新聞)

うーん、これはヤバいと思うんですけどねえ…。
私はここで、時効廃止反対論を唱えるつもりはありません。日弁連の反対論はありま須賀、カウンターで「時効間際の『駆け込み逮捕』が冤罪を生む」と主張することも不可能ではないと思いますし、その辺は現時点ではちょっとはかりかねます。
じゃあ何がヤバいのかというと、すでに発生していて時効が未成立の事件に対して、この時効廃止が遡及適用される点です。これについては法律専門の友人に優しく注意されもしたので須賀、やっぱりどうも納得がいかない(笑)ので今更ながら述べたいと思います。
端的に言うと、この遡及適用は近代刑法の精神の根幹に反するのではないかということです。まず憲法39条は「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない」と、遡及処罰の禁止を定めています。要するに、後出しじゃんけんはダメだということですね。問題ないと言われてやったことが、後から「やっぱダメってことにするから」と言われて処罰を受けるようでは、原理的に言えば「何をやっても処罰される可能性がある」ということになります。例えば今こうして時事的なブログを書いたことによって、私が投獄される可能性だってあるということになります*1。それをしないこと、つまり「これをやったら処罰される」「これをやっても問題ない」という市民の予測可能性を確保することが近代法の根本原理で、それが「何をやったらどう処罰されるかはあらかじめ明示されねばならない」という罪刑法定主義につながっています…という理解で間違いなかったでしょうか(笑)
とすると、今回の法改正はどうでしょうか。ここからは倫理的な議論はちょっと横に置いておきたいので須賀、まずこれまでは、当然時効という制度があったわけです。引用記事の例で言うと、八王子のスーパーでの殺人事件の発生当時、時効は15年です。なので「人を殺すと殺人罪となり罰せられるが、15年の時効が完成すれば罪には問われない」というのが、ざっくり言えば殺人と時効をめぐる法定された内容なのです。しかし今回の改正によって、言わば後出しで「15年の時効が完成すれば罪には問われない」の部分がなくなってしまった。
もちろん反論もあります。今のこの主張は、極端に言えば「15年間逃げ切れば大丈夫という約束で人を殺したんだから、その条件を後から外すのは殺人行為に及んだ犯人の予測可能性に反する!」ということでもあるわけで、犯人のそんな利益は保護に値しない(=そんなことより被害者感情の方が優先ですよね)、というのが法的にも有力な見解のようです。さっき横に置いていた倫理的な観点から言えば、「逃げ得許すまじ!」ということにはなるのでしょう。それでも、この市民の予測可能性を妨げる法秩序の在り方が、果たして法治国家としていかがなものなのかと、私は敢えて問わざるを得ません。今回特に恐ろしさを感じたのは、明らかに国家権力が、特定事件を念頭に置いて成立、施行を目指した*2という点で、これは「特定被害者の感情への配慮」であると同時に、そのコインの裏側として「特定加害者への意図的な害意」でもあるわけです。逃走犯の肩を持つ持たないの次元の問題ではなくて*3、特定の市民を狙って不利な立場に置こうという国家権力のあり方に強い恐怖を感じます。
ちなみに、書いていてちょっと思い出したことを付け加えると、近代刑法にある発想として「犯罪と刑罰の等価交換」というものがあるとも言われます。これは、近代の監獄の誕生が収容者の労働と結びついていた、という観点から、犯罪を犯すことと刑罰を受けること(労働を強いられることなど)がある種の取引関係を形成しており、罪刑法定主義は言わば「取引条件の明示」である、という考え方だそうです。余談ながらこの発想に従えば、心神喪失者を罰しないと定める刑法39条は、「取引の内容を理解できないほどの心神喪失者に、取引の結果としての刑罰は科さない」という意味になります。この辺は

刑法三九条は削除せよ!是か非か (新書y)

刑法三九条は削除せよ!是か非か (新書y)

てな本に出ています。まあこれこそ今の倫理的な感覚とは大きな落差のある議論でしょうけどねww

*1:喜ぶ人の方が多いで生姜

*2:フジテレビによると、千葉景子法務相は、「何とか成立いたしましたので、きょう(27日)中にでも施行をすることができますようにと、私も指示をして督促をさせていただいているところでございます」と述べたそうです

*3:「それはさあ、議論のレイヤーが違うと思うんだよねえ〜」