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取材現場を離れて久しい新聞社員のブログ。 本の感想や旅行記(北朝鮮・竹島上陸など。最初の記事から飛べます)。

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政権のモラルハザードに最早打つ手はないのか

悲観的であるとお叱りを受けるかもしれませんが、最早「法」と呼んでいいのかすら分からない例の安保法案は今国会で成立してしまうのだと思っています。

安保法案、採決日程詰め…13日に中央公聴会
衆院平和安全法制特別委員会は3日、安全保障関連法案の採決の前提となる中央公聴会を13日に開催することを自民、公明、維新の賛成多数で議決した。
同特別委での審議時間は3日で約82時間となり、与党が採決の目安としていた「80時間超」に達した。与党は早ければ15日にも、採決を行いたい考えだ。一方の野党は「採決は時期尚早」として審議の継続を求めており、採決時期をめぐる与野党の攻防は激化しそうだ。
安倍首相は3日の同特別委の集中審議で、維新が提示した安保関連法案の対案について、「敬意を表したい。私どもが提出した法案がベストだと考えているが、この委員会でどちらがいいかしっかりとした議論をしてほしい」と述べ、修正協議に期待感を示した。
(7月3日、読売新聞)

<安保関連法案>13日中央公聴会 月内衆院通過へ攻防
安全保障関連法案を審議している衆院平和安全法制特別委員会は3日、採決の前提となる中央公聴会を13日に開くことを決めた。8日に一般質疑、10日に安倍晋三首相が出席して集中審議を行うことでも合意した。政府・与党は今月中旬の衆院通過を目指しており、与野党の攻防が激しくなりそうだ。
特別委での審議時間は3日までで約82時間となり、自民党が採決の目安としていた「80時間」を超えた。与野党が合意した13日までの審議を終えると100時間を超え、自民党国対幹部は「採決する環境は整う」と語った。
ただ、3日の特別委理事会では今後の日程を巡り、与野党の意見が食い違った。与党が最短で想定する15日か17日の採決について、民主党長妻昭理事は「自民党江渡聡徳理事が採決しないと言った」と主張。江渡氏は3日夜に急きょ記者会見し、「個人的に(15、17両日の採決は)考えていないと申し上げた」と述べ、正式な党の方針ではないと説明した。日程は来週以降、改めて与野党で協議する。
維新の党は3日、安保関連法案の対案を自民、民主、公明の3党に提示した。維新は8日に対案を国会に提出し、10日の集中審議で議論したい考えだ。【水脇友輔】
(7月3日、毎日新聞)

二つ目の記事ではややトリッキーなやり取りが紹介されていま須賀、一般的に言えば一つ目で述べられている通り、今月中旬の衆院通過→参院審議入りという流れが見えてきたというところでしょう。そして現政権は、参院が60日間議決しない場合の衆院再可決、そしてその60日を逆算した日までに行う衆院での可決、その二つを強行することを厭わないと思います。現時点で野党に「再可決は現時点で念頭にない」とか言っているのも、あくまで現時点での話です(そのくらいのことは野党も分かっているでしょうけど)。たぶんそれは、多くの憲法学者内閣法制局長官経験者が違憲であると見解を述べようが、反対デモで国会議事堂が囲まれようが関係ありません。なぜなら、彼らは手続き上、この「法」案を可決する権限を持っていないからです。言わば外野だからです。私が思うに、安倍首相はそういう考え方なんだと思います。むしろヘタにいいタイミングで国会議事堂がデモ隊に包囲されたりなんかすると、祖父と自分を重ね合わせて自己陶酔に陥ってしまうかもしれません(笑)
安倍首相はそういう人です。規範というのはいろんなレベルがあって、それこそ憲法から法律、役所が出す政令のような明文のものもあれば、文字にはなっていない慣習や慣行によるものもあります。「横入りはやめましょう」というのは法律ではありませんね。それと同じようなことが、私は政権運営にもあると思っています。中立性の問われる要職で恣意的な人事をしないとか、選挙で大敗したら潔く辞めるとか、例えばそういうことは民主主義や立憲主義に基づく政治制度を支える不文律です。制度、特にその運用は、明文化された規定のみならず、そうした慣行に負う部分が大きい。この四半世紀の日本の政治に(総理大臣にならずに)最も大きな影響を与え政治家は、ことある度に「憲政の常道」と繰り返していたのが個人的には印象深いので須賀、そういう言い方をするならそういうことになるのでしょう。憲政の常道に則ることは、民主主義・立憲主義に則るというある種の美習であると同時に、本当は自らの、あるいはその政治勢力が長らく力を保つための知恵でもあったはずなのです。「情けは人のためならず」「急がば回れ」。どちらも当たらずとも遠からずなことわざでありま須賀、それは名誉や矜持といった問題にのみ属する事柄ではなかったはずです。
翻って今の首相はどうでしょうか。中立性の強く求められる内閣法制局長官人事で、慣行を無視して自分の見解に近い人を選びませんでしたか?第一次政権下の参院選で惨敗しましたが、自分の体調がどうにもならなくなるまで首相の座に居座っていましたね。多分彼は、こうした「憲政の常道」を敢えて無視している。「参院選に負けたら責任を取って首相を辞めなければならない」とは憲法や法律に書いていませんから、多少の(?)顰蹙を買っても気にしない。専門家の大勢が「違憲だ」と主張し、世論の支持はなくても、専門家の見解にも世論調査*1の結果にも法的拘束力はないから関係ない、やつらは外野で騒いでいるだけで実質的な権限はない(まさに反知性主義!)、そういうことなのでしょう。本来ならもうちょっと、自民党政権の永続性を保つために慎重に事を運んでもいいようにも思えますし、それを求める声が党内から挙がってもいい気もするので須賀、民主党政権下の野党暮らしの経験や、党本部に逆らえない雰囲気が「(どうせ文句も言えっこないし)この世の春を楽しもう」というメンタリティを生んでいるように見えます(その辺の話は『安倍政権は本当に強いのか』(御厨貴)に詳しいです)。
そもそもを言えば、明文の憲法規範すら捻じ曲げようとする人間に不文の政治的慣行を遵守することを求める方が愚かである、と言われればそれまでの話ではありますけど(笑)
じゃあなんでこんな状況になってしまったのかというと、それはさっきサラッと書き流したことと関係があります。「憲法学者も世論も安倍首相にとっては『外野』だ」と言いましたが、実はこれはかなりの暴論です。言うまでもなく、世論からなる民意を立法機関に反映させることが、民主主義の根幹だからです。念のために言っておくと、外野云々の箇所は日ごろの首相の言動を見聞きした上での私の見立てですので、「そんなこと言ったことない!」と抗議されてもちょっと困ります。それはともかくとしても、やはり現況に対する原因として求めるべきは、昨冬の総選挙でした。今となっては世論調査で何割が「法」案に反対していようと、何人が反対デモに集まろうと、衆院の3分の2を与党が占める勢力図は覆らない(と首相は思っているでしょう)。ただ、あの時ならば、いや、あの時こそ、民意を政治過程の中に明確に刻み込むことができた。ただ、日本国民はそれをしなかったわけです。
前回総選挙の前の記事で、こんなことを書きました。「選挙に勝った政権は、たとえ選挙中に自ら『単一争点選挙だ』と謳っていたとしても、往々にして自分たちのすべてが信任されたかのように振る舞う」「選挙時には『アベノミクスの是非、その一点を問う選挙です!』と叫んでいても、終わってしばらく経ったら『先の選挙で安倍内閣とその方針が信任された。選挙の時に出した政策集にも原発は動かすし憲法も変えるって書いてあるでしょ』とこともなげに言い放つ、そんな事態は過去にもあったし、今回も十分あり得る」。案の定、首相は「前回選挙で、集団的自衛権行使容認の閣議決定を行った内閣の方針が信任されたのだ!」と言っておるようで、確かにその詐術的で不誠実な政治姿勢には毎度辟易させられます。ただ、これはちゃんと見ていなかった方が悪い、と言われればそれまでなんですよね。自民党が選挙前に書いた「重点政策」にもバッチリ書いてあるわけですから*2。これはまさに、さっきまでの議論の合わせ鏡のような話でして、「明文で書いてないことなんか知らないよ」という反面で、「ほら、ここに書いてあるじゃない。書いた通りですよ」とくるわけです。あるいは「経済政策一本槍で勝ち得た議席なのだから、その権力はそれ以外の政策では慎重に使わなければいけない」という政治的謙抑さはない、という意味では同じ文脈にあるとも言えます。
こうして考えていくと、安倍政権は根本的な政治観みたいなところでモラルハザードを起こしていて、昨今騒がれるような首相の(!)ヤジとか沖縄や報道の自由に対する暴言といったものも、そこから沁み出ているように思えてなりません。言ってしまえばそういう「無法者」に対して、戦後70年、あるいはそれ以前の紆余曲折から壊しまた積み上げしてきたはずの日本の民主主義がいかに脆いかという感慨は禁じ得ませんが、一方で「永久革命としての民主主義」(丸山真男)という言葉や、首相がお嫌いな日本国憲法の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」(12条)という条文を思い出したりもします。憲政の常道は権力者こそ踏み行うべき道であり、それこそが立憲主義なわけですけど、それを期待できそうにない相手を誤って首相の座につけてしまったなら、今を生きる自分たちのみならず、先人やこれから生まれてくる人間のため、主権者が日本の憲政の歴史に対する責任を果たすべきです。何だか大袈裟な言い方をしてしまいましたが(笑)、今は政治のモラルハザードに抗して「無法者」と対峙する上での日本社会の総力が試されている時期だと思います。
それは野党もそうです。「対案を出して堂々議論」と言うと格好は付くつもりでいるのかもしれませんが、政治は結果責任です。それがために与党ペースに乗せられてしまっては「お前たちも立憲主義の破壊に加担した」という謗りを免れません。望まずして「ユダだ」と後ろ指を指されることすらあるかもしれません。自分たちの理想を追い求めて自己満足に浸ろうとするのは政治ではなく、そのママゴトに過ぎない。この歴史の分水嶺において、自分たちの行動がどのような結果を招くか、そういうより大きな視点からの責任ある振る舞いを求めたいです。敢えてどことは言いませんよ、冒頭に戻ってみていただければ分かりますので(笑)

*1:それが全てだと言うつもりもありませんが

*2:先ほどの記事もご参照ください