DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2004/04/02
- メディア: コミック
- クリック: 211回
- この商品を含むブログ (925件) を見る
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/07/04
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 1人 クリック: 95回
- この商品を含むブログ (516件) を見る
- 作者: 大場つぐみ,小畑健
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/10/13
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 4人 クリック: 177回
- この商品を含むブログ (209件) を見る
…なんかすっかりハマっちゃった子みたいなリアクションで申し訳ないんで須賀、実は(?)このマンガを特に読もうと思ったのには別な理由があるのでした。それは、先日読んだ『罪と罰』との比較という目的です。『デスノート』の主人公・夜神月は、ノートで犯罪人を次々と「裁く」ことで理想の「新世界」を創り上げ、自らその「新世界の神」たらんとしました。そんな彼の自意識というのもこういう発想に至る人間だけあって、ノートを偶然手にしたときも「自分が選ばれた」と考え、ニアに敗れて自分がキラだと認めざるを得ない段になっても、ノートを使って「害虫(=明らかに死んだ方がいい人間)」を裁き新世界を創れるのは自分しかいない、と言い放つのです。これは『罪と罰』の主人公・ラスコーリニコフの抱いた発想や自意識と非常によく似ている反面、『罪と罰』のレビューでも述べたとおり、月はラスコーリニコフが越えられなかった「凡人―非凡人」の壁を容易に踏み越え、ライバル達との「ゲーム」*2に没頭していく点で大きく異なっています。こうしたストーリーになった背景には、正義や悪という善悪論ではなくあくまでもトリックや心理戦を楽しんでもらいたい、という原作者の意図*3があるのはもちろんなので須賀、デスノートによる死のリアリティのなさという要素も考えられるのではないかと思っています。まぁ確かにノートによって様々な死因を設定することはできます*4し、実際に生々しい事故死などが出てくるシーンはあるので須賀、やはり自ら斧を振るって手を下すのとは違う。言わばデスノートでの殺人では、返り血を浴びるというようなことは原則としてないわけです。この差が両者を分ける要素の一つとなっているとは言えないでしょうか? あとその他にも、現代日本にはロシアにおけるキリスト教のように深く浸透した宗教がないことを挙げる人もいるようで須賀…これはよく分かりません。
あと話は変わるので須賀、このマンガの中でのマスコミ、特にテレビ局のあり方には厳しいものがありましたね。「さくらテレビ」なるテレビ局の「出目川」という人物の極端な視聴率主義・拝金主義や、それに追随する各テレビ局の体たらくなど、(恐らく)作者のテレビ業界に対する厳しい視線が見て取れま須賀、そんな「マスコミ像」が幅広い読者に違和感なく受け入れられているとしたら、それはお互いにとって非常に不幸なことだと思います。まぁボクシングの世界戦で反則を指示したのしなかったの*5で云々やってるような連中を煽りに煽ったテレビ局もあることですし、不信感が募っていて当然なのかもしれませんけど…
まぁ感想としてはこんなところで須賀、このマンガについて言及した以上、「キラ事件」についての私自身の見解は述べておきたいと思います。と言っても作中のセリフの引用ですけどねw
ニア「あなたは死神やノートの力に負け、神になろうなどと勘違いをしているクレイジーな大量殺人犯、ただそれだけの*6何者でもありません」