- 作者: エドワード・W.サイード,今沢紀子
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1986/10/01
- メディア: 単行本
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エドワード・サイードの最も有名な著作というべきこの『オリエンタリズム』は、如何に西洋(英仏中心のキリスト教国)が東洋(特にイスラム圏)を認識し、定義し、そして「支配」*1してきたか、その歴史と諸相を論じている、ようですw 非常に豊富な量の文献を挙げながら、マルクス的な分析手法*2をも用いて緻密かつ力強い議論を展開していました、ので残りもそうなのではないでしょうかw
このように非常に評価されている本でもありますし、私もその意義は大きいと思うので須賀、さっき挙げた特徴に対してはそっくりそのまま批判もあり得るわけです。まず何よりも、この本はかなり冗長だと思いますwww 確かに事例の豊富さには脱帽なので須賀、それらの事例それぞれから導かれている結論が内容的に大して変わらないんですね。読み終わらずに図書館に返してしまったのをそのせいにするつもりはありませんが、めくってもめくってもほとんど議論が進まないとなるとさすがにちょっと疲れます(苦笑)
そしてもう一つは、彼の議論そのものに対する批判です。これは前に読んだ内田隆三の本から得た示唆なので須賀、こうした指摘はマルクス主義の「差分」に過ぎないという見方もあります。サイードの議論も、マルクス主義の資本家―労働者という対立の物語の差異の分節に過ぎない、そういう主張です。これに対して、この本を半分も読んでいない私がどうこう言うのはおこがましいことだと思うので深入りは避けま須賀、この問題を考える上で、言わば単なるマルクス主義の縮小再生産に陥ってはならないということだけは確かでしょう。
あと今ちょっと思ったのは、ここでのサイードの「西洋」から「東洋」を認識する際の議論を、心理学の中で認知に関わる領域から分析してみるというのは面白いかもしれないということです。そのためにも、冗長だなんて言ってないでまた挑戦せねばなりませんね(汗